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INTERVIEW

Japanese

笹木ヘンドリクス

2014年06月号掲載

笹木ヘンドリクス

Interviewer:吉羽 さおり

-子どもながらにいろんな表現をやっていたときも、笑いの要素は入っていたんですか。

子どもの頃のはガチンコでしたね、結構(笑)。小6で、国語で物語を作るみたいな提出作品とかは、ありがちですけど地球がロボットの支配下になるというか、この間の映画の"第9地区"とか"宇宙戦争"みたいなムードのやつを書いて提出してましたね。笑いはまだなしで。笑いの要素は、中学、高校くらいですかね。小学生の頃からナインティナインは好きだったんですけど、ラジオで聴くナインティナインが面白いなと思って。中、高になったくらいでラジオを聴きはじめたら、喋りだけで笑わせるとかって、単純だけどすごいことだなって。

-思春期の頃などは、音楽に自分の思いをぶつけるとなると、自分の葛藤してることなどが映っていくことも自然だと思うんですね。そういう点ではどうでした?

葛藤を曲にするみたいなことですか。高校1年くらいから札幌のライヴハウスに弾き語りで出てた頃の曲は、まさにそういう曲だったんです。でも10曲くらいとか、同じようなテイストで曲を作ってたら、ある時点で"ああ、もうないな"って。自分の葛藤してることとかが、10曲くらいに収まっちゃったと思って。自分の書きたいもの、歌うことがなくなっちゃったというか。そこからいろいろテーマ探しとかが始まっていって、そこまではストレートなものしか曲にできないと思ってたから、それ以降は結構大変でした。ユーモアのあるものとかも歌えるんだなってわかるまでは、何を歌っていいんだかわからなくて。

-ストレートな思いを歌っていたときは、どういった心情を書いていたんですか。

僕は、義務教育に葛藤してましたね(笑)。札幌の中では進学校のほうに、すごい勉強して入ったんですけど、燃え尽き症候群じゃないけど、いざ入ってみるとさらに良い大学に入るための勉強みたいな感じで。その時点ですでにライヴとかもやってましたし、音楽とか何かを作る仕事をしたいと思っていたので、なんで今こんな数学の勉強しなきゃいけないんだとか、これはいらないなとか思ってて。実際、数学とかは通年全然勉強しなくてテストとかは白紙で出したりしていたんです。追試とかも、結局全部白紙で出して。

-自分なりの抵抗だったの。

抵抗ですね。留年するぞって言われても、数学が0点で留年するかどうかは、それは僕が2年になるかならないかを実際に見てから言ってくださいみたいなことを言って(笑)。それで2年になったから、もう数学はやらなくていいやみたいな。そういうのはありましたね。美術とか体育、音楽は何か身になるものはないかなってやるんですけど。その後、文系・理系にわかれるとかも、何でこの時なんだというのはすごいありましたね。高校2年の途中じゃなくて、どうせなら高校に入る時点、受験の時点でそれを伸ばせたほうが特化して勉強することができるのになとか。そういう反抗はしてたけど、クラスメイトの友達とかは普通に勉強してたりするし、好きだった子とかも普通に勉強できるし。自分が1番テストでも点を取らないし、学校にもあまり来ないとか。そうすると、ときどき学校に行ったときの引け目みたいのを感じて。どうしたらいいんだかなあみたいな。

-そこで、じゃあグレてやるとかはないんですね。

ないですね。グレるのは非生産的だなと思ってたので(笑)。自分がやりたいと思ってることがしっかりあったから、それを早い段階からどんどんやりたいなと思っていたんですよね。テニス・プレーヤーとかが3、4歳からやるだとか、卓球の愛ちゃんとかを子どものときから見ていて、真に受けてたんでしょうね。早いうちからやって、損なことはないから。

-ストレートに自分の思いを綴っていたことが、もう言いきってしまったっていうときからは、模索の日々になるんですか。

それこそ、わかりやすいラヴ・ソングみたいなやつとかも、いくつも書いたし。その都度、その時の自分の立ち位置から見える、現時点での自分から未来はどうする?みたいな素直な歌は年に1回くらいは書いていたんですよね。そのほかは、よくある歌とかじゃないものを作りたかったので、どうしたらいいかは考えたりしていました。GRAPEVINEとかも聴きましたし。『Circulator』というアルバムが、自分の中でずば抜けて変で面白かったんですよね。あれ?こんなの初めてだなっていう、ギラっとしたタイプの歌とかが好きでした。宇多田ヒカルとかもギラっとしてた。そういうタイプのものが好きでしたね。

-それは具体的にどういう?

日本語をこんなふうに使ってるんだっていう感じですかね。ケツメイシとかDragon Ashとかもそうかな。刺激的なアプローチの曲とか、日本語の曲とかはいい糧になりましたね。井上陽水さんとかも、小さいときには「少年時代」しか知らなかったけれども、「氷の世界」とかもかなりのものだなと思ってたら「My House」という曲があって、それは意味不明な単語しか出てこないんですけど、それがめっちゃかっこよくて。そんな人も昔からいたんだっていう。