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INTERVIEW

Overseas

NADA SURF

2009年07月号掲載

NADA SURF

Member:Matthew Caws (Vo&Gt)

Interviewer:佐々木 健治

アメリカで90年代から活動を続けるNADA SURFが、NANO MUGEN FESで初来日を果たす。一般的な知名度は決して高くないが、眩いメロディを持つ彼らの歌に魅せられ、この日を待ち望んでいたファンも多いはず。そして、それに合わせて、彼らの最新作『Lucky』の日本盤が発売される。彼らの豊潤な歌が、さらに多くの人々の耳に残ることになるだろう。

-まずは、7月のNANO-MUGEN FES.で、初来日となりますね。楽しみにしているファンも多いと思いますが、初めての日本でのライヴがどんな感じになるか、想像したりしますか?

まず僕らは日本について全く知識がないんだ。でもラッキーなことにも、僕らはショーの2、3日前に日本に着く予定だから、ゆっくり準備することができるんだよ。今回の状況を比較するとするならば、アイルランドとブラジルなんだよね。まだ訪問していない国であっても多くの人が僕らの曲を聴いていてくれているのがアイルランドとブラジルだったんだ。あの時のコンサートは本当に素晴らしかったので、日本でも同じかまたはそれ以上であることを期待したいよ!

-日本はどんな国だというイメージでしょうか?

僕らのドラマーIraはSMITHEREENSのツアーマネージャーをやっていたときに一度日本へ行ったことがあると思うよ。でも僕とDanielは一度も訪問したことがないんだ。日本についての僕のイメージは、他のどの国とも異なるということ、そして、ありとあらゆる文化への非常に大きな敬意を持っていること。映画、TV、そして、2、3日本の小説を読んで日本のことを知ったんだ。そして、他のバンドの友人は日本でプレイすることはミュージシャンとして最高の経験だと僕らに話してくれるんだよ。本当に。

-日本でも、あなたがたのファンは多いですが、初来日ということもあるので、皆さんの自己紹介からお願いします。あとNADA SURFは、どうやって結成されたのでしょうか?

NADA SURF は1994年に結成したんだ。ルーツは高校の時に遡るんだけど、Danielと僕とでTHE COST OF LIVINGというバンドを結成してTHE CLASHの曲を3曲コピーしたあとに自分達の曲を作り始めたんだ。僕とDanielはその時からの付き合いなんだ。実はNADA SURFを結成する前にもう一つバンドを結成していて、BECAUSE BECAUSE BECAUSEっていうバンドなんだけど、16歳の時にFUZZTONESのライヴを見に行ってドラマーが格好良いと思って結成したんだ。その頃のドラマーが10年後 NADA SURFに加わってくれて今のメンバーになってくれたことは本当に嬉しいよ。

-デビューが1996年と、長いキャリアですね。ここまで続けてくる中で、思い出深い出来事などはありますか?

確かに長いよね。それだけ忘れがたい瞬間が沢山あるよ。最高の思い出は我々がオーディエンスと本当につながっているのを感じることができた初期の頃のコンサートだね。エキサイティングであるのと同時に本当に成功できるかもしれないと実感することができた瞬間だった。もちろん嫌な思い出もたくさんあるよ。Woody Allenは悲劇+時間=コメディと言ったように、僕たちにとってもそうだったんだよ。車が事故しても、音響システムが故障しても、振り返れば笑い話になる出来事だと僕らは知っていたんだ。そして、その通りだったよ…

-あなた方の音楽に影響を与えたアーティストを教えていただけますか?

若かったときの僕を奮起させたアーティストはRAMMONES、THE WHO、THE BEATLES、とラジオで聞いたすべてのジャンル、ディスコからクラシックまで。歳をとってからの大好きなグループはTHE PIXIES、PAVEMENT、JOY DIVISION、SONIC YOUTH、SEBADOH、TEENAGE FANCLUB、ECHO AND THE BUNNYMEN、THE FEELIES、GRAM PARSONS数えるにはあまりに多くあって。。。

-今回の初来日に合わせ、2008年に発売された『Lucky』の日本盤が発売されます。とてもいい曲が詰まったアルバムですね。しばらく時間も経っていますが、今振り返ってみて、『Lucky』の出来には満足されていますか?

うん、とても満足しているよ!でもあまり僕らは自分たちの音楽は聴かないんだ。ただいざ聴いてみると、いかに良いか自分でも常に驚く。その逆じゃなくて本当に良かったよ。