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Japanese

相対性理論

2013年08月号掲載

相対性理論

Writer 小田部 仁

自作自演のロック・ポップスという音楽ジャンルにおいては、元々、自己表現へのこだわりやエゴを剥き出しにした社会との葛藤と抑圧を歌う様な音楽こそがプロトタイプである、とされていた。それとは全く異なる手法で2000年代後半を代表するポップ・アクトとして登場したのが相対性理論だった。彼女たちはデビュー以来、主だった露出をメディア等で行わず、敢えて匿名性を利用し“置き換え可能なポップ・アイコン”と“個性剥き出しのロック・バンド”の両極を兼ね備えた希有な存在として、日本のポップ・ミュージックの景色を一変させた。
『シフォン主義』で鮮烈なデビューを飾り、『ハイファイ新書』で革命を起こし、『シンクロニシティーン』で自らの歴史を結実させた彼女たちは、2011年『正しい相対性理論』のリリースを境に、相対性理論としてのリリースを一時ストップ。その後、ほどなくして、真部脩一(Ba)と西浦謙助(Dr)が今後の活動に加わらないことが発表された。やくしまるえつこは、アート・プロジェクトから「みんなのうた」まで多岐にわたるソロとしての活動を充実させ、今年4月にはソロ・アルバム『RADIO ONSEN EUTOPIA』を発表。永井聖一(Gt)は、各種アーティストのプロデュース等を行っていた。
本作『TOWN AGE』は、ある意味では、メンバー脱退後、充実したソロ・プロジェクトの末に、古巣に戻ってきたという装いのアルバムである。しかし、そこにあるのは、今までの相対性理論としての役割を捨て、新たな姿に力強く生まれ変わった彼女たちの確信に満ちた音楽である。無理もないことだろう。今の日本のポップスの現状を見渡してみれば、すぐわかる。彼女たちなしでは生まれることのなかったムーブメント、フォロワーがどれだけいることか……Johnny Marrのような清涼感のあるギター・サウンド、タイトなドラムス、ファンキーなベース・ライン、そして、少女のような歌声、イメージが四方へ拡散していくサブカルと哲学が絡み合った歌詞、そして、何よりもアーティスティックなフロントマンの存在……相対性理論は、1つのフォーマットとして完成してしまったのだ。では、コピーとは違う差異を見せつけるため、既存の表現に収まらない表現にするため、彼女たちは『TOWN AGE』においてどうしたのか。純粋にポップスとしての強度を高めたのである。
『TOWN AGE』、ここで聴けるサウンドは、現時点での日本のポップスにおける最新型だ。相対性理論としての特色だった前述のサウンドは未だ確かながら、バンド・メンバーが変わったということもあってかリズム隊に顕著だったラテンの影響は消え、よりロック/ヒップ・ホップ・マナーな演奏になった。また、チープなシンセの音やリコーダー、パーカッションなどが効果的に用いられ、チェンバー・ポップのような、これまでの相対性理論にはみられなかった趣も感じさせる。そして曲が何よりも強い。アレンジも複雑になり、緻密なサウンド・プロダクションが強く意識されている。特筆すべきは、やはり、やくしまるえつこのヴォーカルの雄弁さだろう。今作では幼女から妖艶な女性まで、曲毎に役割を演じ分けながら吐息まじりに、未来から過去、世界中を航行する。上海からロンドン・テートモダンを通って、東京シティ→多摩ニュータウンまで(最終的に東京の西側に到着したのは、今、シティ・ポップとされる音楽の文脈がそこに帰着しているからだろうか?)、相対性理論にしか語ることのできないストーリーを彼女は見事に立ち上げてみせる。
相対性理論は『TOWN AGE』において、明らかに新しいフェーズに入った。もしかしたら彼女たちは大切ななにかを失ってしまったのかもしれない、しかし、彼女たちは“たまたまそこにいただけ”(「たまたまニュータウン」)なのだ。境目でゆらゆらとこちらをみていた彼女たちは、今、ここにいて、音楽を奏でている。今作は、町規模の小さな新世紀の訪れを告げる、現時点最強のポップ・ミュージックだ。ここから、はじまる、新世紀。こんにちは、新しい相対性理論。

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