Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

Dr.DOWNER

2013年07月号掲載

Dr.DOWNER

Member:猪股ヨウスケ(Vo/Gt) 小石トモアキ(Dr)

Interviewer:石角 友香

退屈や停滞は誰のせいでもなく自分のせい。重たいドアをこじ開けるのはカオティックなサウンドじゃなく、音も言葉も胸に飛び込む音楽。それはDr.DOWNERが自らの経験を通じて獲得したものだからこそ、その変化を快哉でもって受け入れたくなるのだろう。勢いと破天荒なアクトで大型フェスやイベントで噂が噂を呼んできたバンドは、ここにきて音楽を手段として、相変わらずの日々に前向きな変化を送り込むことにシフトし始めた。前作『ライジング』に続き、ASIAN KUNG-FU GERNERATIONの後藤正文をプロデュ—サーに迎えた2ndアルバム『幻想のマボロシ』をリリースするDr.DOWNER。その成り立ちから現在のバンドのモードまでをフロントマン猪股ヨウスケ(Vo/Gt)と小石トモアキ(Dr)に訊く。

-前作『ライジング』を聴いた際、久しぶりに生々しい印象のバンドに出会ったなぁと感じたんですが。

猪股:あー(笑)、はい。

-結成を持ちかけたのは猪股さんなんですか?

猪股:俺ですね。前のバンドが終わって、いろんなバンドでギターとかベースを弾いてたりしまして、とりあえず自分のバンドをひとつ作っとこうって、適当に始めたのが10年ぐらい前です。

-長いんですね。

猪股:そうです。21歳ぐらい。最初、ドラムが小石じゃなくて別の人だったんですけど、小石に変わってから他のバンド全部やめて、このバンドだけになって。それでも普通に飲み会の延長みたいな感じでやってまして。で、今のうちのギターのケイちゃん(高橋)がそれまでいたバンドが解散して暇になるっていうから誘ったら“やるよ”つって、4人編成になったのが2006年ぐらい?

小石:Dr.DOWNERが始まって2年後ぐらいです(笑)。

猪股:今の4人になってから“ちゃんとやろうか”つって、CDを2枚作って。で、最近なんですけど、俺、元々ベース&ヴォーカルだったんですけど、3年ぐらい前にギター&ヴォーカルに変わりまして、ギターだった星野がベースになって、そこから音源もちゃんと出すようになったって感じですね。だからすげぇ昔からやってるけど、今の感じっていうのは3?4年前からです。

-Dr.DOWNER1本に絞ったのはこのバンドなら核心を掴めると思ったからですか?

猪股:いや、ただライヴやるのが好きだったんで、そこまで考えてなくて。で、バンドやってたらライヴやるのは当たり前じゃないすか?そこで、まぁつまんなくないもんね?

小石:うん。

猪股:なんで楽しいのか?って言われると困るけど。

小石:猪股をハタから見てて、未だにそうなんですけど、“他に楽しいことあんのかな?”みたいな感じがあって(笑)。

猪股:ははは。

小石:ずっとライヴハウスにいるようなイメージでしたね。

-ライヴハウスは居心地がいい?

猪股:うーん、そんなことはないかなぁ。なんか臭いしベトベトしてるし(苦笑)。あんまり行きたくないときは行かないんですけど、結局、暇んなると行ってしまうみたいな。行けばたいてい友だちがいるんで。バンドってライヴハウスに行くことがコミュニケーションの一環みたいな面もあるんじゃないですかね。

-曲を聴いていると、周りの人を拒絶まではいかないけど、距離を置く人のように受け取ってしまうんですけど。

猪股:そんなこともないんじゃないですか?自分ではわからない。そうでもないと思うけど、まぁどっちかと言えばひとりでいるほうが好きですね、基本的には。ライヴハウスとかもひとりで行ってひとりで帰るし。

-そうそう、ひとりでいるのが好きなんだけど、人一倍伝えたい人っていうイメージがあります。

猪股:あー、そうかもしれない。

-そもそも猪股さんは楽器を始めるきっかけは何だったんですか?

猪股:中学2年生のときの誕生日プレゼントがアコギとサーフ・ボードだったんです。

-それは土地柄?

猪股:そう。親が音楽とか好きな人で、趣味でバンドやってたような人だったんで、半ば無理やり(笑)。

-逗子の英才教育(笑)。

猪股:(笑)で、別に楽しかったんで、そのままギターは続けて、今に至った感じかな。だから最初は自分から意識して始めたものではないですね。