Skream! | 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

MENU

INTERVIEW

Japanese

plums

2021年05月号掲載

plums

Member:吉田 涼花(Vo/Gt) 佐藤 達基(Gt) 細川 葵(Ba/Cho) 栗山 貴聖(Dr)

Interviewer:三木 あゆみ

北海道小樽発4人組、plumsが2ndミニ・アルバム『episode』を完成させた。会場限定リリース後にタワレコで緊急流通が決定し、収録曲「白昼夢」MVが1万再生を突破するなど話題となった前作『paranoid』からさらに進化を見せ、より温かみが増し、間口の広い作品となった今作。シューゲイザー/ドリーム・ポップを軸にポップスなど様々な要素を織り交ぜたサウンド、そして吉田涼花による異彩を放つ歌詞と歌声は、聴き手の想像力をかき立て、情景を浮かび上がらせる壮大さがあると同時に、心を浄化していくような柔らかさもある。メンバーが"心身削った"と語るほど、バンドのすべてを注ぎ込んだ今作について4人に話を訊いたのだが、作品に対する愛や情熱、メンバーへのリスペクトがそれぞれの回答から強く感じられた。

-Skream!初登場ということですので、まずはみなさんのことについておうかがいしたいと思います。バンド結成が2013年ということで活動自体は長い印象がありますが、どのように始まっていったんですか?

吉田:始まりは高校の軽音楽部からなんです。漠然と音楽やギターへの憧れがあって、軽音楽部に入部したんですけど、ドラムの栗山も同じタイミングで軽音部に入部しにきていて。そのときに、一緒にやろうや! って、もうナンパですよね。

栗山:その言い方良くない(笑)。

吉田:(笑)当時、私と一緒にいた女の子と、栗山と一緒にいた男の子の4人で"じゃあこのメンバーでバンドを組んでみよう"というふうになり、まず"午後のアセロラレモン"というバンドができたんです。しばらくそのバンド名で活動していたんですが、メンバーの脱退などがあったのと、私が曲を作り始めたということも重なって、改名することになりまして。アセロラという実があるじゃないですか。アセロラよりもっとビッグになりたいっていう意味合いで、アセロラよりも大きいプラムの実から取って"plums"というバンド名になって。そのあとメンバーがどんどん集まって、今はこの形態で活動をしています。

-佐藤さん、細川さんとはどのように出会ったんですか?

佐藤:地元が一緒で、ライヴハウスで知り合いました。涼花と栗山は1年後輩なんですけど、対バンだったり、普通にライヴを観に行ったりしていくなかで仲良くなって。加入した経緯としては、自分は高校を卒業してから普通に仕事をしていて、バンドからは離れていたんですけど、またバンドをやりたいなって考えてたときに、涼花とふたりで遊ぶタイミングがあって、そのときに冗談半分で"plums入れてよ"って言ったら、意外とすんなり入れました。

吉田:簡単に入れるバンドみたいに言うじゃん(笑)。

栗山:そのときは3ピースで活動をしていた時期で、もうちょい音の厚みが欲しいよねってたまたま話していて。佐藤の加入の話といい感じにタイミングが合ったんですよ。それで、じゃあお願いしようかという話になったんです。

吉田:あおたん(細川)はどうだったっけ?

細川:(佐藤が加入した)そのあとに、当時いたベースとドラムが脱退して。そのドラムは栗山のことなんですけど(笑)。私は別のバンドをやっていてplumsと対バンもしてて、もともと友達だったんですけど、"メンバーが脱退したから、ベースやってくれない?"と頼まれて、最初はサポートとしてplumsに入ったんです。それで活動していくうちに、一緒に音楽やっていきたいなと思うようになって、正式加入しました。

-栗山さんはオリジナル・メンバーですが、一度脱退されているんですよね。吉田さんと"奇跡的な再会"を果たして、再びドラムを叩くことになったそうですが、どのような再会だったんですか?

吉田:そもそも栗山の脱退自体、後ろ向きなものではないということが前提の話なんですけど。栗山は当時一緒にいたベースの子のことが大好きで、ひっつきむしちゃんだったんですよ(笑)。で、その子がほかにやりたいことができたから抜けるってなったときに、こいつがいないなら俺も抜ける! っていう感じで脱退をして。

栗山:へへへ(笑)。

吉田:そのあとドラムがいない期間は、いろんな方の手を借りてライヴ活動をさせてもらってたんですけど、一時期このままだとplumsが止まってしまうかもしれない、という状況にまでいったことがあったんです。それで、どうしようと考えながら札幌の地下歩行空間をひとりで歩いていたときに、偶然栗山が目の前を歩いていて、"栗山! 何してんの!?"って声を掛けて(笑)。いろいろ話すなかで、"今こういう状況でドラムがいないんだけど、叩いてくれない?"と頼んだら、"いいよ~"と言ってくれて、そのままサポートとして入ってくれたんです。で、活動をしていくなかで、やっぱり栗山がいいよねって話になって。

栗山:もともと僕は涼花が書く音楽がずっと好きだったので、たまたま涼花と再会したときにplumsが止まりそうという話を聞いて、"こんなにいい音楽なのに、止まってしまうのはもったいない"と思い、"正式なドラマーが見つかるまでは、バンドが止まらないように俺がサポートするね"といったかたちで、手伝わせてもらっていたんです。それで、やっていくうちにやっぱり栗山がいいねって言ってくれたこともあったので、つい最近、正式加入することを発表させていただきました。

-では、みなさんの音楽的なバックグラウンドについても教えていただきたいのですが、吉田さんはTwitterでNoel Gallagherが"推し"とおっしゃっていましたよね(笑)。

吉田:あははは、Noel神です(笑)。でも実はOASISをちゃんと聴き始めたのは今年に入ってからなんですよ。なので、影響を受けてきたバンドというよりかは、今めちゃくちゃ影響を受けているバンドがOASISって感じなんです。

-そうだったんですね。それ以前に聴いてきた音楽というと、どういうものがありますか? きのこ帝国の影響なども挙げられていましたよね。

吉田:きのこ帝国は絶対的な存在ですね。銀杏BOYZみたいにギャンギャン鳴っているのとか、ミツメとかもすごく好きで聴いていました。でも、自分で曲を作るってなったときにできあがったものが、きのこ帝国のようなサウンドや心とマッチするような音楽で。それもあって、ずっときのこ帝国を聴いていました。

-じゃあ、幅広く音楽は聴いていたけど、吉田さんが曲を作るうえで肌に合ったのは、今やっているようなサウンドだったというわけなんですね。細川さん、佐藤さん、栗山さんの聴いてきた、影響を受けたアーティストも教えていただけますか?

細川:私は大学からベースを始めて、ちゃんと音楽を聴き始めたのもそこからだったんですけど、ベースを始めた当初によく聴いていたのは東京事変、SCOOBIE DO、相対性理論でした。この3つのバンドのベース・ラインは練習もかねてほぼほぼコピーして。私は結構、動くフレーズが好きなんですけど、最初にそういったバンドのコピーをしたことが影響していると思っています。L'Arc~en~Cielとかも一時期めちゃくちゃコピーしてました。もともと好きな音楽はポップスやジャズ、ファンクとかでしたね。

佐藤:昔からずっと聴いているのはBase Ball Bearや東京事変、ペトロールズなどで。高校時代に一番聴いてたのはPeople In The Boxでした。ギターの変な音、特殊な音、ただ単音を弾くだけじゃないというところは、Base Ball Bear、People In The Boxの影響がデカい気がします。

栗山:僕は音楽をまったく聴いてこなかったので特殊で。ドラムを始めた理由も、当時いたベースのことがめちゃくちゃ好きで、そいつが音楽をやるからついていったというものなので、そのベースが"これいいよ"って言ってきた曲をひたすら聴くみたいな感じだったんです。RADWIMPS、tricotとかを聴いてました。バンドを始めて、自分から聴き始めたのはふくろうず、plentyとか。優しく包み込むような音楽を好んで聴いていましたね。

-では、このたび完成した『episode』についてのお話も聞かせてください。先行配信された「ナンバー」は、グッと曲の世界に引き込んでいく力のある楽曲だと思いました。栗山さんはこの曲について、"曲が出来た経緯を含め、本当に最高"というふうにツイートされていましたよね。

栗山:はい、最高ですね。これは、涼花がラジオで「ナンバー」ができた過程をめっちゃ長尺で喋ってくれたことがあって、そのことについてのツイートなんですよ。

吉田:私、結構病みがちで(笑)、夜眠れなかったときに昔のことをふと思い出して、そのときの話なんですけど。小学生のころ、一緒に登下校していた仲良しの女の子がいて。ある日ひとりで、校庭で遊んでいたときに、遠くから"涼花ちゃんちょっと来て"ってその女の子に呼ばれたんです。それで行ってみたら、私が昨日買ってもらったばかりのリュックサックが、足で踏んだ跡とか砂でぐちゃぐちゃになって置いてあって、それをその子が指さしていたんですよ。そのとき、女の子は学年のガキ大将みたいな男の子と一緒にいたんですけど、ガキ大将が"俺じゃなくてこいつがやったんだよ"って女の子のことを指さして、でも女の子は"私じゃないよ"って言ってて。で、その日は泣きながら帰ったんですけど、帰り道、母親とか父親の顔が浮かぶんです。せっかく買ってくれたのに申し訳ないとか、こんな惨めな格好を見てどう思うだろうとか考えて。お母さんは帰ってきた私を見てびっくりしていたんですけど、私は"リュックボロボロにされた! 新しいの買って!"って強く出たんですよ。そしたらお母さんは"新しいのは買わないよ。明日もそれを背負っていきなさい"って言って。そのときは私も子供だったので、"ケチ! ド貧乏!"って叫んで泣き狂ったんですけど(笑)、次の日もそのボロボロのリュックを背負って学校に行ったんですよね。そんなことをふと思い出したときに、この出来事について、疑問がたくさんあるなって思って。

-たしかに。いろいろ疑問は浮かびますね。

吉田:そもそもどうして私のリュックがボロボロになってたのかとか、誰がやったのかとか。本当のことはわからないんですけどね。この「ナンバー」という曲は、つらかったというイメージをもとにして書いているんですけど、さっき私病んでたって言ったじゃないですか(笑)? 病んでたんですけど、こういうつらいエピソードを経て、今生きてこれているんだから、今現在で悩んでいることもきっと乗り越えられるんだろうなと、そのときにこのエピソードが自信や糧になったんですよ。

-なるほど。

吉田:あと、あのとき母親が、なぜボロボロのリュックを背負わせて次の日学校に行かせたのか考えたときに、いじめっ子たちや、もしかしたら裏切ったかもしれない女の子への復讐の意味もあったんじゃないかと思って。それを考えると母親の存在って強いし、つらい状況でも、ありがたい存在がそばにいるということに気づけたりしたんです。今も学校という狭い世界の中で苦しんでいる人たちって、きっとたくさんいると思うんですけど、"こういうことあったな、でも今大丈夫だ"と思えたときに、私はもっと未来を知りたいなと思ったんですよね。なので、つらいことがあっても、広い目で大きい世界を見ることができたらいいな。そういう視点をちゃんと持って、未来に行けたらいいなっていう思いを込めて「ナンバー」という曲を作りました。長々とすみません(笑)。

栗山:超大作ですよね。

佐藤:ド名曲だよ。

吉田:(笑)plumsでこういうメッセージ性の強い曲を作ったのは初めてかもしれないです。この曲は本当にたくさんの方に聴いていただきたい、決意のこもった曲になっています。