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INTERVIEW

Japanese

ヒヨリノアメ

2019年07月号掲載

ヒヨリノアメ

Member:AKI(Gt/Vo) 萩谷 尚也(Ba) 大橋 ユウト(Key) 山崎 一樹(Dr) プロデューサー/それでも世界が続くなら:篠塚 将行(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

-萩谷さんは、ヒヨリノアメをどういうバンドだと思って見ていたんですか。

萩谷:最初は今と曲調が全然違ったんですよ。イメージで言うと、その頃はカルピスウォーターとかのCMにありそうな曲で。

-え、そんな爽やかだったんですか!?

萩谷:すげぇ爽やかで。砂浜で走ってる女の子が似合うような。

AKI:会った頃はそうだった。

-いったい何があったんですか。

大橋:はははは(笑)。

AKI:よくそれを言われるんですけど、単純に好きだった曲とやっていた曲が違っていたんですよね。不器用だったから、自分が好きな音楽をどう表現したらいいかわからないし、どう曲を作ったらいいのかもわからなくて。ただ、バンドをやれること自体すごく嬉しかったんです。でも本気になっていくにつれて、自分が歌いたいこと、自分が思っていることを歌いたいと思うようになってきて。そしたら自然と曲調が変わったりとか、そのときの自分のことを歌うようになっていったりしたので、ちゃんと自分のことがわかるようになってきて変わっていったんです。でも最初だけだよね、本当に爽やかなのは。初めて自主制作で出したシングル『空』(2016年リリース/現在は完売)に収録した2曲は、そういう感じでした。

萩谷:自分が入った頃(2017年10月)は、ちょうど変わろうとしていた時期ですね。あんなに爽やかだったのに、いろいろとあったんだろうなと思わせるようなもので。その曲の感じがすごく好きだったので、加入しました。

-ちなみにこの"ヒヨリノアメ"っていうバンド名は、最初からですか。

AKI:はい、ずっと変わっていないです。

-このバンド名とさっきのような爽やかな曲ってあまりリンクしないですね。

AKI:たしかに......。

-今の曲にはすごくしっくりとくる詩的な名前だなと思いますが、どういう由来があるんですか。

AKI:実は、そんなにこれっていう意味がないんですよね。初めて集まったスタジオの日が雨だったんですよね。そのときはまだセッションをする程度で、これからバンドとしてどうやっていくとかは話していなくて。でも、ライヴが決まったんです。それならバンド名決めないと、ということで考えたときに、毎回スタジオが雨だったから、"雨"って入れたいなっていう。個人的に雨はすごく嫌いなんですけど、眺めていたり、音を聴いていたりするのは好きだし。自分の曲にも合うなと思ったんです。

-はい、雰囲気はすごく合っていると思います。

AKI:でも雨だけだと、バンド名的にはマイナスに捉えられちゃうのかなっていうのもあったので。ちょうど何かで、"〇〇日和"っていうのを読んだか見たかして、"雨日和"っていうのはいいなと思ったんです。だから、そんなに深い意味はないんですよね。でも、"ヒヨリノアメ"で今までやってきて、合っているなって思うときがあるし、すごく気に入っているんです。

-では、今回リリースとなる1stミニ・アルバム『記憶の片隅に』の話を聞いていきたいのですが、今作は最近の曲が多いんですか。

AKI:新しい曲も結構あるんですけど、再録した曲もありますね。「room」と「東京」と「傘とシンデレラ」は再録で、「東京」は上京した頃に作った曲なので、もう2年前くらいの曲ですね。「room」と「傘とシンデレラ」は昨年出したEP『傘とシンデレラ』の再録曲で、アレンジが変わっています。それもずっと歌っているうちに自分の中で解釈が変わってきたからこそ、再アレンジもしたくなったし、再録しました。

-今日はプロデュースを手掛けたそれでも世界が続くなら(以下:それせか)の篠塚さんもいるので、せっかくですからアレンジなどについては篠塚さんにも語ってもらおうと思うのですが、まず篠塚さんはどういう経緯でヒヨリノアメを知ったんですか。

篠塚:僕らがよくワンマンをやっているライヴハウス、下北沢Club Queにメンバーが観に来てくれていたのかな。そのときは僕はまだ知らなかったんですけど。

AKI:俺は、バンドを組む前からずっとそれせかが好きで。茨城から下北沢のQueやMOSAiCに観に行っていたんですよ。

篠塚:そうだったんだね。

-今回篠塚さんがプロデュースに携わることは、AKIさんにとっては、かなり大きなことですね。それせかの音楽に出会って、何が一番刺さったんですか。

AKI:単純に他にいないバンドなんです。俺が当時思ったのは、直接心に来るんです、言葉も音も。直接自分の心に刺さってくる音楽が、自分もずっとやりたかったし、そういうバンドのライヴを見ると自然に泣いていたりするんです。その言葉に共感する/しないじゃなくて、正直に音楽をやっている、ライヴしている人がすごいかっこいいなとずっと思っていて。自分もそういうバンドになりたいなと考えていたんです。

篠塚:以前Queの店長から、"それせかが好きでずっとQueに出たいって言っていた10代のバンドがいるんだけど、その子が今日ライヴやってるんだ"っていう連絡を貰ったことがあって。そのあとに今度は、水戸SONICの照明をやっていたやつから、ヒヨリノアメっていうバンドがいて、彼らのイベントに出てくれないかっていう連絡が来たんですね。僕ら、基本的に知らないバンドのイベントには出ないので、そのときはさらっと断ったんです。でもそうやって多方面から名前を聞くんですよ。で、ヒヨリノアメって誰なんだろうってずっと思ってはいましたね。

萩谷:そうだったんですね。

篠塚:それであるとき、Queであった何かのイベントにそれせかが出たときに、ヒヨリノアメも出演していて、"ずっと一緒にやりたかったんです"って言われて。これが噂に聞いていたバンドだ、と思ったのが最初ですね。そのときヒヨリノアメは、自分のイベントでもないのに"それせかとやれるのめっちゃ嬉しいです!"みたいなMCをしていたんですよね(笑)。で、そのライヴの直後くらいかな、AKI君の耳が調子悪くなってしまって。

AKI:右耳の調子が悪いんです。

篠塚:自分のことを好きだと言う子が、自分と初めて一緒にライヴをやった日に耳の調子が悪くなってしまって、何か自分にできないかなとずっと思っていたんです。うちのメンバーもずっと気にしていたので。でも今回一緒にやることになったのは、そればかりではなくて、ただ好きなバンドだったからというのが大きいですけどね。