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INTERVIEW

Japanese

ROU

2019年06月号掲載

ROU

Interviewer:TAISHI IWAMI

10代の後半にAlicia KeysやBOYZ II MENといったR&Bの洗礼を受け、俳優活動の水面下で作曲を続けること10年近く。それまでに積み重ねてきたキャリアを捨て音楽1本で身を立てることを決意し、ミュージシャン・デビューしたROUが、シングル『Today』に続く7曲入りのEP、その名も"EP"をリリース。そこにある、バンド・メンバーと共に生音にこだわったサウンドと強い言葉に宿るエネルギーを、彼は"ロック"だと言う。しかし、聴こえてくるサウンドは、前述のR&Bアーティストやそのルーツにあるソウルやファンク色の強い、いわゆるロック・バンドによるロックらしいサウンドではない。ではROUが掲げる"ロック"とはなんなのか。その答えには現代的且つ彼ならではのオリジナルな感覚があった。

-ROUさんは現在28歳。本格的に音楽活動を始めたのは約2年前の2017年だと聞きました。周囲のミュージシャンと比べると遅めの動き出しだと思うのですが、それまではどんな生活を送っていたのでしょうか。音楽を自覚的に聴くようになった頃のことから話を聞かせてもらえますか?

音楽を本格的に聴き始めたのは中学に入ったあたりです。父が好きだった歌謡曲がきっかけでした。杏里さん、山口百恵さんや中森明菜さんとか。そこからオンタイムの、テレビで流れているような音楽、いわゆるJ-POPなども聴くようになりました。18歳で上京するまでは、そんな感じですね。

-上京してから大きな変化があったんですか?

上京してから友人に勧められて聴いたAlicia KeysやBOYZ II MENに衝撃を受けたんです。海外のR&Bが持っているグルーヴや熱、ヴォーカルのフェイクについて、日本にもそういうアーティストはいたと思うんですけど、僕は知らなかったから"全然違う、なんだこれは!"って。Alicia Keysからの影響が大きかったのはもちろん、そこが大きな起点になって、60年代や70年代のソウルやファンクも辿って聴くようになるんです。中でもStevie Wonderは大きかったですね。

-曲を作り始めるようになったのはいつ頃ですか?

J-POPを聴いていた中学生くらいの頃からアコギで作曲してました。いわゆるJ-POPから始まって、国内のロックとか、そんな感じだったような。そこからR&B、ブラック・ミュージックに出会って、"なんか聴いたことのないコードが鳴ってるな"ってなって鍵盤に興味が湧いたんです。ただ、すぐには弾けないからどうしようかと思っていたら、DTMなるものがあるらしいと。それで、よくわからないけど、必死でバイトして"Cubase"っていう高いDAWとパソコンとキーボードを買ったんです。

-しかし、そこから表立っては音楽活動ではなく、俳優として活躍されます。

熊本の田舎にいた頃、音楽で食べていきたいって話したら、みんな"絶対に無理だ"って言うんですよ。でも、その頃CDデビューしている俳優さんがいたんです。これならできるんじゃないかって。

-それは完全に俳優を......。

舐めてますよね。でも当時は本当に田舎者で何もわからなかったんです。で、俳優もミュージシャン同様甘くないことは始めてみて一瞬でわかるんですけど。

-あまり苦労せず入口に立てただけでも、相当ラッキーですよね。

はい。そこから俳優として歩み出して、ミュージカルの"テニスの王子様"でデビューさせてもらいました。でも、水面下ではずっと曲を作ってたし、事務所にも音楽をやりたいって言ったこともあるんですけど、難しいって。"テニスの王子様"はすごくキラキラした話で、ソウルやファンク、R&Bが好きで家で音楽を作っている自分とは、どんどん開きが出てくるじゃないですか。

-はい。

もちろん俳優も全力でやってました。でも、どう考えてもやっぱり音楽がやりたくて、それで俳優の活動をかなりセーブして音楽の理論を学んで、音楽でやっていこうと決めたんです。

-そしてシングル『Today』を2018年にリリースしたと。

2017年くらいからオリジナル曲のCDを自主で作ってライヴ会場で手売りしていたら、流通作品を出してみないかって話をいただいて、『Today』を出して今に至ってます。

-その『Today』以前の曲も配信で聴くことができますが、そこから今作までの流れを辿ってみると、"同時代性への意識"に変化があるような気がするんです。それに抗うにせよ乗るにせよ、何かしらトレンドと葛藤していたところから、生身のROUさんがやりたいことへの純度を追求する方向にシフトし、抜けきったように感じたのですが、いかがでしょう。

言われてみればそうかもしれません。『Today』に関しては、"ネオ渋谷"とか言われているような上モノのシンセやパッドを入れる選択肢もあったんですけど、あえて使わなかった。"今○○がきてる"って流れに乗るのではなく、あえて古くしようとする意識がありました。そこから"抜けきった"と言ってくれた、その理由を考えると、『Today』で山下達郎さんの「PAPER DOLL」をカバーさせてもらえたことが大きかったですね。

-「PAPER DOLL」がどう作用したのですか?

『Today』を出すまでは、ずっと打ち込みで作って、トラックをそのまま流してライヴでやってたんです。「Today」も最初は"Todays"というタイトルの打ち込みの曲でした。そこからバンド編成にシフトしていくなかでお客さんの反応がどんどん変わっていたんです。その極みが「PAPER DOLL」でした。最初は"ROU君の曲はバンドでやってみたら面白いかもよ"と言われたことを受けてやってみたくらいのことだったんですが、やっていくうちに"俺がいる場所はここなんだ"って思うようになったんです。バンドって、今この瞬間しかできないことだって強く肌で感じられる。だから、もうあれこれ考えず、バンドで思いっきりやろうって。そう思えたあとに作ったのが今作『EP』なんです。

-今はDTMでたいていのことはできる。その魅力を充分に知っていながら、生演奏に惹かれたのはなぜですか?

たしかにDTMがあればなんでもできます。でも、人が出すグルーヴ、弦を弾く指使いとか、太鼓を叩いたときの振動とか、そこは似せることはできても完全に再現するのは難しい。リフとかリズムのパターンも、個人の癖が出た方が魅力的だと僕は思いました。それはライヴで顕著に表れることですが、音源でもそうなんです。

-歌に影響は出ますか?

はい。僕の場合、人が演奏してる方が断然テンションが上がります。

-となると、今作はこれまでよりROUさん以外の人たちの介入度は高くなったのでしょうか?

そうですね。今回は最初から明確にバンド・サウンドでやりたいと思っていたので、ギターとベースとドラムとエレピのシンプルな編成で作ったものを持っていって、アレンジャーに希望を伝えながらブラッシュアップしていきました。ふたりで大枠のアレンジを決め、そのあとはアレンジャーを中心に、演奏するメンバー個々にスタジオに入って思うようにやってもらったという感じです。

-作品全体のタイトルが"EP"で各曲のタイトルもすごくシンプルですが、そこに意図はありましたか?

パッケージだけであまり先入観を持ってもらいたくないとは思ってました。まずは解釈に幅がある状態にしています。中身には完結する物語があるんですけど、それを聴いてもらった人それぞれの感覚で受け止めてもらえたら嬉しいです。

-1曲目の「フラッグ」の冒頭で、"イケてないトラック オンリー/掛け続ける気はない"とあって、6曲目の「This morning」では、"トラックに乗り 今 踊り乗り切って"とあるように、曲を跨いで言葉をリンクさせるなど様々な仕掛けがあります。

そこは上から下まで聴いてくれたら面白いように、それぞれの曲で今の自分にしか書けない飾らない言葉であることを大前提として、別の曲に同じ言葉を入れてみたり話を繋げてみたり、いろいろと仕掛けを散りばめました。