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INTERVIEW

Japanese

downy

2014年04月号掲載

downy

Member:青木 ロビン (Vo/Gt)

Interviewer:沖 さやこ

9年間の活動休止を経て、昨年復活を果たしたdowny。昨年11月にリリースされた5作目のフル・アルバム『無題』や、それに伴うツアーもリスナーやアーティスト勢から歓迎されたことも記憶に新しい。そんなバンド史上初の試みとなるリミックス・アルバムが完成した。気鋭レーベル"術ノ穴"主宰のFragmentをホストに、クラブ・シーンやバンド・シーンなど、それぞれの場の一線で活躍するリミキサー陣が揃った。5.5枚目のフル・アルバムとも位置付けられる完成度を誇るこのリミックス・アルバムについて、フロントマンの青木ロビンに語っていただいた。

-まず、昨年リリースされた9年ぶりの復帰作である5作目のフル・アルバムはdownyにとってどういうものになりましたか?

(リリース前は)プレッシャーが半端なかったです。まわりも期待しているでしょうし、ハードルが高くて。"いつものやりかたでどこまでまたやっていけるか"という期待と不安のなかで制作をしました。(活動再会を決めてから)フル・アルバム2枚分潰してるんです。全部完成させてから"いや、もっとできる"ってボツにして、最後の11曲が去年出した5作目のアルバムになったんです。だから個人的には7作目のような感覚なんですよね。

-そうだったんですね。"もっとできる"というのはどこでお感じになったのでしょうか。

やっぱりdownyっていうバンドは人がやらないことをやりたいですし、もっと度肝抜かないといけないというのがあるし、やったことをまたやりたくないというのもあったので。3枚目みたいなことをやって、4枚目みたいなことをやった結果、もっとエレクトリックと人力の"間(あいだ)"を持った歌ものを目指したかったんです。だから根詰めて、1年半くらいレコーディングしていたんです。やっぱりdownyは特殊なバンドで。勿論各々プロでも色々やっているんですけど、作りかたが独特なんですよね。だからお互いの勘を取り戻すのにも結構時間が掛かって。慣れも必要だったんですけど。

-ロビンさんはまったく音楽をやっていない時期があったんですよね。

そうですね。9年くらい、まったく。

-そこから音楽に戻ったのはどういうタイミングだったのでしょう。

実際きっかけは、休止してから3年後くらいにもあったんです。中尾憲太郎が"コンピを作るからdownyに入ってほしい"って。それでやろうかーと電話をしたりしてたんですけど、歯車が合わずに流れて月日が経って......3年ぐらい前。僕、沖縄で飲食店やってて、(レイ・)ハラカミさんが周年ごとにいつも(自分の店に)ライヴしに来てくれてたんですけど、亡くなる前にライヴ終わったあとに一緒に飲んでて"いい加減downy音源出しなよ"って言ってくれて。"そんな今更、誰が待ってるんですかねぇ"なんてことを言いながら(笑)。

-(笑)みんな待ち焦がれてましたよ。

沖縄にはdowny好きな人なんてほぼいないんで(笑)、そんな感覚がなくて。のんびりやってたんですけど......そう言ってもらって、そのときにリミックスの話も出たんです。"ハラカミさんも音源出してないじゃないですか!""じゃあ俺も出すからお前も出せ!俺がリミックスやってやるよ"って。今作とは別の話ですが。それ事がリミックス・アルバムというものに興味を持ったきっかけにもなったんですよね。その日を機に"もう1回音楽を考えてみないとな"と思ってて、曲を作って音楽的なリハビリもしながら......いよいよメンバーに電話をして"やるか"と。そして再開に至る感じでした。

-リミックスに興味が出てきた理由というのは?

もともと僕らの作曲の手法がリミックスに近いというか、音源として"今日はここでストップ"と言わない限りは構成伸ばしたりポジション変えたりコード変えたり、ずっとやり続けるんで。各々が作ってきたものを再構築していくバンド・アンサンブルなので、結局曲も1回決めたテーマから変わってって、最終的には違う曲になってる感じなんですね。なのでもともとリミックスのような感じなので、人が触ったらどうなるんだろう?ということにすごく興味が出てきて。どれだけ変えてもらえるんだろう、僕らの曲を超えてきてくれるのか、はたまた全然違うものになるのか......アーティストが変わればどう変わるのか、それをみてみたかったんですよね。

-では5枚目をリリースした頃には、このアルバムのリミックス・アルバムを作ることは決まっていたんですね。

もっと言えば再開する前からですね。5枚目のアルバムだけでやるのか、過去作からやるのかはまったく考えてなかったんですけど、リミックス・アルバムないしリミックスという手法で他のアーティストと絡むというのをやってみたいというのはずっとありました。