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INTERVIEW

Japanese

GINNEZ

2016年03月号掲載

GINNEZ

Member:原田 巧(Vo/Gt) 矢野 拳志郎(Gt/Cho) 天野 大地(Ba/Cho) マッシュ遠藤(Dr/Cho)

Interviewer:吉羽 さおり

北海道・帯広出身の4ピース・ギター・ロック・バンド、GINNEZが3月9日に1stミニ・アルバム『You are You』をリリースする。切なさが練り込まれた、熱くエモーショナルなメロディとギター・サウンドで、高ぶる気持ちや揺れ動く心境をまっすぐに乗せて歌い、あるいは懐かしい心の景色に飛び込んでいくような叙情的な曲で、聴き手の琴線に触れる。疾走感のあるロックからリリカルなバラードまで、幅広い曲調で、その胸の内にあるものを何とかして伝えようとするバンドだ。古くは小学校からの同級生もいたり、地元も同じだったりと、同じ景色を見て育ってきた4人。だからこそ、描ける熱さや情感、ぴたりと合ったアンサンブルの空気感がある。そんないい雰囲気をまとっているバンドだ。

-今作が初の全国流通作品になりますので、バンドの成り立ちもおうかがいしたいと思っていますが、活動を始めて4年くらいになりますね?

原田:そうですね、2012年に地元の北海道で友達同士で結成して。高校卒業してから、1~2年ですぐ上京してきたんです。

-東京に出て行こうっていう気持ちは結成時からあったんですか?

原田:結成したときはほとんど全員初心者だったんです(笑)。けど、"なんか、いけるんじゃねえか?"っていう無鉄砲さがあって。やってみようぜっていう勢いで東京に出てきたんです。東京で初めてライヴに出演したときは、東京のバンドのすごさにも触れつつ(笑)。そうやって揉まれながらいろんな人たちと出会えたので、あのときの勢いは結果的にいい方向に転んだのかなと思ってます。

天野:東京にバンド仲間がいるわけでもなかったのにね。

-出身は帯広ですよね。北海道のバンドだと、まず一度札幌のライヴハウスに出るという選択肢もあるんじゃないですか?

原田:そういうのも全然知らなかった、というのが1番大きいと思うんですけどね。勢いで、"東京だ!"と。地元でもライヴは数えるほどしかやってないのに(笑)。

マッシュ:片手で数えるほどで。

矢野:どうせ行くなら東京だろうっていう。

原田:それで、東京まで飛んできました(笑)。

-結成時は、どんなバンドにしようかっていうのは思い描いていたんですか。

原田:それぞれに好きな音楽はあるんですけど。僕と矢野は小学校から一緒で、なんとなく好きな音楽が――ギター・ロックとか、僕はJ-POPもすごく好きで、似ていたんですよね。そういうところで、みんなが好きになれるような音楽を作りたいというのは、最初にあった僕の想いなんですけど。

-ギター・ロックというと、どんなバンドがあげられますか。

矢野:BUMP OF CHICKENが入り口ではありましたね。

原田:共通してるのはそこだよね?

矢野:最初に曲をコピーしたのもバンプで。家でふたりがそれぞれギターを持ってやっていたのが始まりで。

原田:ギター1本背負ってこいつのうちに遊びに行って、夜中に弾いたりしてましたね。

-天野さんとマッシュさんは、どう出会ったんですか?

矢野:マッシュは地元が一緒だったんですけど、当時の僕たちの前身バンドとよく対バンしていたドラマーで。僕たちのバンドのドラムが抜けることになったとき、彼のバンドも活動が止まっていたので、うちでやらないかって誘ったんです。天野は、僕と同じ高校で同じ部活でした。

天野:ハンドボール部だったんですけどね(笑)。なのにいきなり、"バンドやろうぜ"って言われて。しかも、"お前、ベースな"って。

原田:結構、強引にバンド組んだところはあるよね(笑)。僕も、兄も妹も音楽をやっていたから、家にはずっと音楽が流れていたし、好きでしたけどバンドやろうという考えは全然なくて。そしたら矢野君から電話がきて、"お前がヴォーカルでバンド組むから"って、決定事項になってたんですよね。僕、最初ベースがやりたかったんですよ(笑)。だけど、"ベースはもういるから"って言われて。

-矢野さんはこのメンバーでこの形でやるんだっていうのを最初から頭に描いていたわけだ(笑)。

矢野:小さいころから歌がうまいのは知っていて、あいつしかいないんじゃないかってことで連絡しましたね。ふと、思い立った日に(笑)。部活の帰りだったんですけどね。

マッシュ:"思い立ったが吉日"だからね。

-そんな無理やりながらも、みんな即答でOKと?

天野:う、うん。そうだったかな。

矢野:今考えるとむちゃくちゃなんだけどね(笑)。

-そんなバンドの始まりから、数年後には東京にいくぞってなるのがまさに、若さのパワーですよね(笑)。東京に来てからはどうだったんですか? 自分たちでライヴハウスに売り込んでいくことからスタートしたんですか?

矢野:最初は、アルバイトですね。まず生活をすることに必死で。ライヴするにもツテがなかったので、なかなかライヴにも出れなくて。そうするうちに、僕たちのホームページを見てライヴハウスの方から出ないかって連絡をいただいたんです。それで初めて東京でライヴをしたんです。

原田:一発録りのデモ音源みたいなのを試聴サイトにアップしていたんですよね。

マッシュ:Myspaceとかもやっていたので。