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Japanese

the telephones × Christopher Allan Diadora 対談インタヴュー

2013年10月号掲載

the telephones × Christopher Allan Diadora 対談インタヴュー

天野 史彬


-当時、00年代初め~半ばの日本のロックって、日本語のギター・ロックが主流になっていった時期なんじゃないかなって思うんですけど、その辺とは外れていたんですね。

Yukihiro:近くのバンドか海外のバンドばっかり見てたよね?自分たちと近しいバンドでブッキングが組めちゃったんですよ。海外志向じゃないですけど、がっつり洋楽の影響を受けてやってるバンドがすぐに集まったので、近いところで刺激を与え合って。あとは凄く遠くの海外を見てましたね。

Doon:こっちのものはこっちのもので市場があるというか。そもそも、洋楽が売れてたしね。

石毛:そうそう、今みたいに3000枚とかじゃなかった。

Doon:だから畑というか、フィールドが全然違うって感じだった。

-なるほど。で、これは資料にも書いてあるんですけど、Diadoraが結成された時、石毛さんがギタリストとして加入しかけてるんですよね。

Yukihiro:そうですね。当時、メインではAnd Mark Herとかをやってたんですけど、サイド・バンドでやかましいのをやろうってことになって、それでDiadoraを組んだんです。で、周りでそういうギターを弾けるの誰だ?ってなったら、石毛だろうって(笑)。

石毛:僕もやりたいって感じだったんですけど、"練習場所どこ?"って訊いたら"下北"って言われたから、僕はまだ北浦和に住んでたんで、遠いなって(笑)。で、丁重にお断りしました。こっちは散々KYARAに来てもらってるのに、恩を仇で返す形になっちゃったんですけど(笑)。

-Diadoraがサイド・バンドとして結成されたのが2004年で、telephonesの結成が2005年だから、ちょうど同じくらいの時期に石毛さんもtelephonesを始めるわけですね。

石毛:そうですね。僕はtelephonesで、And Mark HerともCanoerideとも対バンしてるんですよ。だから付き合いはずっとあって。なんですけど、しばらくしてから、このふたりがそれぞれのバンドを辞めてカナダに行くという事件があって......。

DoonYukihiro:(笑)。

-おふたりはどうしてカナダへ行ったんですか?

Yukihiro:僕はずっと行きたかったし、行くつもりだったんですよ。その時はまだDiadoraはサイド・バンドだったから、And Mark Herが解散したら行くしかないでしょって。

石毛:And Mark Herの解散はショックだったけどね。僕ら世代の希望の星って感じだったから。デビューも早かったし、CDも売れてたし。

Doon:僕はプライベートな理由だったんですけど(笑)、貯金があったんで。なんの目的もなしに行きましたね(笑)。

-で、おふたりがカナダに行かれたあたりで、telephonesがCDを出し始めるんですよね。

石毛:カナダに行ったのいつだっけ?

Yukihiro:2008年。

石毛:ちょうど俺らが『JAPAN』ってフル・アルバムを出したぐらいだ。

Doon:俺たちの当時のメイン・バンドが2007年ぐらいになくなってるから、その頃にちょうどtelephonesがぐわっと来て。

Yukihiro:だから2010年の正月に日本に帰ってきたんですけど、ビックリですよ。"telephonesが売れてる!?"って(笑)。

石毛:(笑)。

Yukihiro:まったく知らなかったから。Diadoraを再開したのは帰ってきてから何ヶ月か経ってからだったんで、その間に今、日本ではこんなことになってるらしいっていうのを人から聞いて。"あの石毛が売れるわけねえ!"って(笑)。

石毛:"あんなに暗い子が"って(笑)?俺的には、帰ってきたなら早くDiadoraを始めてほしかったけどね。なのに、なかなか重い腰が上がらないっていう(笑)。こっちは曲作んなきゃってワーカホリックみたいになってるのに(笑)。

Yukihiro:こっちはむしろ、スタジオのテレビでフェスに出てるtelephonesを観てる感じ。まぁでも、俺たちはそんなにガツガツやる感じじゃなかったからね。レイドバックしてマイペースにやるって感じだったから。カナダで海外のバンドのスタンスを見てきたから、好きなタイミングで好きなようにやればいいんじゃないのかっていうのはあって。そういう海外のバンドの文化をDiadoraに持ち込みたかったから。

-でも、石毛さんはDiadoraに対してやきもきする部分があったんですね?

石毛:そうなんですよ。ほんとに貴重な仲間だから。同世代で音楽を辞めてくバンドが多かったから、凄い寂しくて。でも、Diadoraはほんとにセンスあるし、俺たちがこの場に来れるんだったら、あいつらも来れるはずだと思ってやってましたね。それで自分たちの王国を作りたいなって。"Kings"ってイヴェントを始めたのもそういうことだし。

Yukihiro:あっ、そうだ。俺、Kingsでビックリしたわ。日本帰ってきたら"Kingsってなんだ?"と思って。見たら、"おい、これBB-LTD(PILLS EMPIREの前身バンド)だろ!?"って。

石毛:はははは!でも、もしあの時、Diadoraが日本にいたら絶対にKingsに誘ってたと思う。THE BAWDIES、the telephones、PILLS EMPIRE、QUATTRO、The Brixton Academy(現NILE LONG)、DJのFREE THROW、それにDiadoraが加わってれば、凄い面白そうだったなって今になって思う。

Yukihiro:ああ、それは嬉しいわ。でも、帰ってきた後のDiadoraを"お前らライヴやれよ"って引っ張ってくれたのはFREE THROWの(弦先)誠人さんって人で。俺たちがカナダに行く前、ふざけてワンマンばっかやってた時期があったんですけど(笑)、その頃からPILLS EMPIREの紹介で観に来てくれて。誠人さんはずっと俺たちが海外に行ったことを残念がってたんです。で、俺たちが日本に帰ってきたら"遅いよ"って(笑)。それでFREE THROWに声かけてもらって、それから空いた時間を埋めていく作業でしたね。