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INTERVIEW

Japanese

THE天国カー

2015年07月号掲載

THE天国カー

Member:天国コケシ (Vo) 魔昼間花子 (Gt) まきお (Dr)

Interviewer:天野 史彬

-ははははは(笑)。

コケシ:でも、続いているものが多くて。僕は2曲同時に作ることが多いんですよ。たとえば「神様のいない午後」っていう曲が『金』の1曲目に入ってるんですけど、それと『銀』の4曲目の「悪魔でGODな女の子」は同時に作りました。「神様のいない午後」をグワーッと作って、「悪魔~」はそのあとに出た排泄物、みたいな(笑)。ガッと右に振り切ったら左が余るので、それを埋めようとするんですよ。そういうのは多いですね。「レインボウマン」という曲と「グッドラック★天国」とか。

-なるほど。ちょっと、サウンド面について魔昼間さんとまきおさんにも解説してもらおうと思うんですけど、何かしら目指しているもの、意識しているものはありますか?

魔昼間:1番は、歌を聴こえるようにというか、歌が際立つように作ったりするのは意識してますね。あとはやっぱり、ダイナミックさ。これは大事にしてますね。他とは違うようにしようとしているところはあるんじゃないですかね。今回、レコーディングしてるとき、クリックは1曲も使ってないんですよ。

コケシ:わりとスタンダードなナンバーたちに聴こえるとは思うんですけど、自分の中では新しいものを作っていっている感じなんですよね。自分だけの音楽というか。練習でも、僕が指揮者みたいなことをするときがあって。"ここはもっと!"みたいな感じで手を広げたりとか、しゃがんでブレイクさせたりとか。そういう意味で言えば、むしろTHE天国カーのサウンドは、視覚的なサウンドなのではないか......ここ、カッコいいから使ってくださいね(笑)。目で見た大きさ、大きいもの小さいもの......音でそういうものを感じてもらえたらいいなって思いますね。やっぱり、ライヴを大事にしているので。小さい山があって、バーンっと大きい爆発があって......みたいなのを大事にしているんだと思います。最近は平坦な歌が多いのではないかと思いますね。それが踊れるとかノれるっていうことに繋がってると思うんですけど、僕が感動してきた音楽......クラシックとかには、ぐわんぐわんと波があって。僕はパンクも好きなんですけど、パンクにもそういうものを感じるし。サウンドであっても歌であっても歌詞であっても、そういう"波"は出していきたいなって思ってますね。平坦な耳になりたくないっていうか。

-まきおさんはどうですか?

まきお:僕、3月に加入してるし、僕が加入するときには活動休止は決まっていたし、だから『金』『銀』でも僕が叩いているわけではないんです。なので最近、THE天国カーとして初めてスタジオ入って、初めてライヴしたっていうのが前提なんですけど、ほんとに、(コケシは)"溜めて~!!"とかって言うんですよ(笑)。ライヴでも、僕が後ろにいて前にコケシさんがいるんですけど、足で煽ってきたりするんですよ。あれ、"走れ"ってことやんな、みたいな。だから、すごい生もの感というか、ライヴ感のあるバンドやなって思っていて。クリックがないっていう話もありましたけど、『金』『銀』を作っていたころは、僕は普通に聴いてた側で、ライヴも観てたんですけど、"このドライヴ感はなんなんやろう?"って思ってましたから。それはきっと、その"生もの感"、"ライヴ感"なんですよね。それが音源にも詰め込まれているんやろうなって思いますね。

コケシ:『銀』の「幻に抱かれて」は電子音も使ってるんですけど、それも計算されたっていうよりかは、インプロビゼーションって言うんですか(笑)? せっかく人間がやるんやから、即興的に、その場でガチンコでぶつかり合っていった方がいいし、それをお客さんにぶつけていくことで、お客さんから何がしかが返ってきて、いいライヴになるのかな、いい音源になるのかなって思います。

-わかりました。歌詞の世界観についても訊いていきたいんですけど、コケシさんの書く歌詞には"神"という言葉がすごく良く出てきますよね。で、どちらかと言えば"神様はいないんだ"という考え方が前提としてあるのかなって思うんですけど、これはどうしてなんですか?

コケシ:僕は、バンドをしていないと何もできないような人間なんです。それは不真面目ということではなく、とても真面目に日々を過ごしていても、人より劣ってしまうんです。運動でも勉強でも仕事でも、何でも。そういう人にあとは何が残っているかというと、精一杯の優しさを人に届けることしかないんですよね。それは物心ついたときから持っている実感で。絶望ありき、"こんなもんか"っていう諦めありきで生きてきたんです。そうなると、何かにすがりたくなるんですよ。すがりたくて神様を探したり、何かを悪としたり、白黒つけないと過ごせなかったんです。自分でも、とても弱い人間だと思います。ただ、何かを白として、それを神だとすがりながら日々を過ごしていたら、神に裏切られる瞬間があるんです。でも思えば、それって、勝手に自分がその何かを白であり神であると思い込んで扱っただけなんですよね。だから、神に裏切られる瞬間があるのは当たり前で。"じゃあ、神様って一体何だろう?"っていうことになっていくんですけど――。

-うん、うん。

コケシ:結局、宗教とか神様とか悪魔の存在って、単なるライフスタイルの提案でしかないというか。キリスト教でも仏教でも何でもいいですけど、"ここではこうやっています"っていうルールがあって、それを提案しているだけなんですよね。それに沿って生きていけば、偽りの安心感が得られるよっていう。そう考えるようになりまして。そうしていくと、"神様とは何か?"っていう視点ではいられなくなったんですよ。"これが神様か?あれが神様か?"っていうふうに考えていると神様に裏切られるので。その結果どういうふうに考えるようになったかというと、幸せとか喜びとか怒りとか悲しみは、"神様に対して自分がどこにいるかで決まるな"って思うようになったんです。今、これを読んでいるあなたが私にとっての神様だとしても、"あなたに対して自分は今どこにいれるだろう?"っていうことの方が大切だなって思ったんです。今、これを読んでいる人が僕のファンだとしたときに、僕は僕のファンである僕の神様に対して誠実でいれるのか、情熱を注げているのか、愛情があるのか、嘘をついていないのか......そういうふうに考えることがとても大事であり、それによって、自分の人生とか日常生活が作られていくのかなって思うようになって。

-なるほど。何かを信じたり、何かに期待したり、誰かから何かをもらうことを前提として生きていると、それは裏切られる。だってこっちが勝手に期待しただけだから。なら、何かをもらうことじゃなくて、自分が何かを与えるっていう考え方にシフトした。だからこそ神の不在を歌う歌詞が多いっていうことですかね?

コケシ:そうですね。そこまで偉そうに何かを与えられているかっていうと、全然そうではないんですけど、自発的にこっちから何かを行うっていうことは、自分の勇気や覚悟があればいいだけなので。それが1番難しかったりもするんですけど、僕は少なくとも、ライヴをやってる2時間なら2時間、30分なら30分の間は、それはできるなっていう自信はあるので。"与える"って言うと偉そうでおこがましいですけど、そういう覚悟は持ってやっているっていう感じですね。