Overseas
Jonsi
2010.12.31 @新木場スタジオコースト
Writer 島根 希実
飛ぶ。それが『Go』を再生し、耳に飛び込んできたその声を聴いた瞬間、感じた全てだった。それは、パッションだとかの、高ぶる感動などではなく、もっと言えば“どうしよう、飛んでしまう”という戸惑いだったのかもしれない。溢れんばかりの開放感。一瞬でこの身を包み込んでくれる包容力。ただ1曲で人をあらゆる喧騒から解き放ち、歓びで満ち満ちていく感覚。そうして溢れた想いは羽となり、確かに飛んだのだ―。
今年3月にリリースされたJonsiのソロ・デビュー作、『Go』。そこにあったのは、SIGUR ROSすら脱ぎ捨てた、Jonsiの生身の姿だった。私は、これまで一度だってSIGUR ROSに触れられたことなんてなかった。あの夢のような音、私たちを陶酔させる神秘の美を描く音楽は、決して触れられない、決して届かない幻想のようで、あくまでも、どこかに存在はするものの、普段は気付かない、追っても追っても届かない、まだ見ぬ桃源郷を目の前に描きだしてくれているだけなのだ。それは、いわば虚像であり、その手に触れようと手を伸ばしても、虚しく空を切るだけだ。
だが、『Go』は違う。ここにあるものは“実像”だ。あの小鳥の囀りのような始まりを聴いた瞬間に、全身に迸った感覚は、夢見心地だなんてナイーヴなものではなく、生命の息吹を、命の喜びを宣誓する、美しく瑞々しいエモーショナルであり、それはまぎれもない現実世界のことであるのだから―。
Jonsi初の単独ツアー。全公演ソールド・アウトのツアーの最終日ともあれば、盛大に盛り上がる前触れのような、興奮状態に包まれているのかと思っていたが、後ろまで超満員のフロアは、ライヴ前とは思えぬほど静かで、緊張感のようなものまで漂っていた。
とても静かな始まりだった。会場の照明が消えると、大きな空間を照らすのは、小さなライトただ1つのみ。ぼんやりとした灯りがぽつんと灯る中、やがてギターの音色が聴こえてきた。「Stars In Still Water」だ。最小限の音と照明の中、線のように細いヴォーカルが浮かびあがってくると、その迷いなき伸びやかな声を聴いた途端だろうか、緊張は解け、あるのは穏やかな静けさだけとなった。曲が終わると、この日最初の拍手の中、ようやく残りのバンド・メンバーも登場し、バックスクリーンには森の画が映し出された。…なんだろう、まるでライヴとは思えない画が広がっていく。一見すると、古びた田舎のガレージのようにも見えるステージ・セット。腕からたくさんの布がびらびらとぶら下がっている、少し風変わりなヒッピーかインディアンのようなJonsiとバンド・メンバーの衣装。まるで小さな頃に見た人形劇のような空間が出来上がっていく。
どうやら、物語の幕が上がったようだ。
序盤に描いて見せたのは、命の輪廻を描いたような展開だった。スクリーンの映像とかなり重要にリンクしていくスタイルで、「Hengilas」では、初めは小さかった火の手が、やがては大きな炎となり森と動物を飲み込んでいき、その中から無数の蝶が生まれていた。なにかがやってくるような 足音で始まったのは「Kolniður」。風にも、木にも、山にも、何にだってなれる声が、再び現れた動物たちに、より強い命を吹き込むように、深く、太く、吹き荒れるように響く。吹き荒れたまま、今度は鉄琴の音色が舞い上がり、始まったのは「Tornado」。囁くような音に、オルガンが加わり、やがてその演奏は激しさを帯びていく。それは、スクリーンに映る花を攻撃する嵐のようだが、Jonsiの声がそうはさせない。雨風にさらされても折れない、咲き誇る命を描いていく。
突然、真っ暗になり、「Sinking Friendship」が聴こえてきた瞬間、一斉に歓声があがった。スクリーンには雨が降り出したが、この雨は先ほどとは違う、救いの雨だ。Jonsiの声は潤いを帯び、照明は活き活きとした緑色へ。『Go』そのままの、全ての命を肯定するような、極彩色の時間へと突入していく。波飛沫のように迸る、海のごとき無限の生命力を持った声が会場を満水させ、「Saint Naïve」へ。
一言曲紹介をしただけで、先ほどよりさらに大きな歓声が上がった。「Go Do」のあのイントロが鳴らされると、フロアは皆手を挙げて手拍子を。その美しさといったら圧巻だ。なんだろう、歓声にしても手拍子にしても普通のライヴでよくあることが、こんなにも力強く、希望の色を奏でているというのは。溢れ返る幸福と歓喜。それを助長するのは、フロア前方を中心に客席から飛ばされる紙飛行機だ。(この紙飛行機は、HPでJonsiが“もっと紙飛行機を飛ばして欲しい”とコメントしていたのを目にしたファンが、折り紙を用意し、客席に配ったものだという。) Jonsiはギターを弾くのをやめて、抑えきれないとでもいうように片手にそれを持って歌う。もはや音を超えてフロアの歓びが爆発し、感情が噴水のごとく迸っていた。「Boy Lilikoi」でもって希望の声はさらに広がっていく。スクリーン同様、花を咲かせるように、命を具現化する声を放射していく。「Animal Arithmetic」で再び手拍子が巻き起こり、Jonsiはステージの前方へ身を乗り出し、右へ左へと移動しながらフロアを煽っていく。
それまでとは一変し、再び静けさを呼び込んだのは「New Piano Song」。再びぼんやりとしたスポットライトのみに。そのドラマチックなメロディが美しく響く中、やがては照明もなくなり、鉄琴の音だけが響いていく。そして、Jonsiの姿はまったく見えない、ままラスト・ソング「Around Us」へ。声だけが浮かび上がるような状況で、スロー・テンポの前半部分の最後を長く長く伸ばして、小さく息を切るように歌うと、会場からはその歌声を讃える歓声が。それを合図にするかのように、後半のあの圧倒的な歓喜に満ちた明るい展開が始まった。スクリーン上のたくさんの蛍がヴォーカルに応えるように、Jonsiの声に合わせ円を描いていく。その命の群れは、やがてはより細かな光の粒子へと姿を変え、突如現れたオレンジや赤の暖色の光と混ざっていく。光と手拍子が吹き荒れ、その波が去る頃、ラストは、Jonsiだけにスポットライトがあたり、彼が最後の一節を歌いきると同時に暗転した。命の火を吹き消したような終わりだった。
アンコールは「Stick And Stones」と「Grow Till Tall」。Jonsiは頭にインディアンのような大きな飾りをつけ、めちゃくちゃに思うままに絞り出すように頭を振り、体を四方にねじらせて歌い、開放的な姿を見せてくれた。そして最後に天地に祈るように、ひたすらに首を振って歌う姿はやはりどこか神々しかった。
――この日、力強く何度も鳴らされた手拍子は、命の鼓動のようだった。宙を舞う紙飛行機は、生命の歓びを讃えるファンファーレのようだった。
アルバムで実感しこの日痛感したこと、それは、SIGUR ROS ではなく、JonsiがJonsiとして歌った歌は“此処ではないどこか”を切望してしまうような非現実へと誘うものではなく、今私たちがいるこの世界を救済する音楽であるということだ。この日、ようやくこの手に触れたJonsiは、天使の声などではなく人を生かす声だった。
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