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sleepy.ab「二度寝する奴ぁ三度寝る」【第4回】

2011年11月号掲載

sleepy.ab「二度寝する奴ぁ三度寝る」【第4回】

ある重大な事件があり,それをGt.山内に見られてから4ヶ月後に僕達はバンドを組んでいた。
(前号参照)

1998年フランスワールドカップの年で日本が初出場するということで日本中が盛り上がっていた。その春、卒業を機に今のメンバーに声をかけた。
音楽学校ってのは不思議なもので、在学中は音楽を勉強してるしやってる感が強いんだけど、いざ卒業となるとミュージシャンという肩書きがなくなる。
ミュージシャンになる大体がフリーターになりニートにもなる。
それぞれだとは思うけど多分自分一人では音楽活動は続けられないだろうと感じていたし、彼らもまた同じだった。多分。
それぞれが在学中はほとんど関わる事がなかったし音楽性もバラバラだった。
彼らを誘ったもう一つの理由としては、なにか違和感があったというか、、よくわかんないから興味を感じたとかそんな割とアバウトな感じ。

よし始めよう!と思ったら編成がボーカル、ギター×2、ドラム。
うっかりベースがいなかった。
この音楽学校にはギター専攻は何十人もいたのにベースは二人しかいなかった。
田中、山内は両者ギターだったけどパワーバランスで山内はベースに任命された。正直に言えばギターの人がベースやったら良さそうじゃない?くらいに思ってた。
そうやってなんとか活動が始まる。やはり在学中ろくに口を聞いたこともなかったので気まずい時間が結構つづく。。
しかも曲も在学中に作った「PAIN」という曲しかなくて、そればかっりをずっと練習してた。ほんとそればっかりを。
週に一度練習はするんだけれど、まずは仲良くなろうぜ!という事でゲームしたりサッカーしたり。そんな事してる内にあっという間に3、4年くらいの月日が経った。。
その頃にはサッカーチームができておりユニホームまで作ったり、リーグに登録するとかしないとか、むしろバンドというよりサッカーチームになっていた。
本格的になっていくにつれ怪我までしたりした。頬と顎の間を13針縫ったり、肋骨にひびが入ったり。しかも大体がなぜか味方との接触プレーだった。
顎なんかひどかったね。ボールを競ってヘディングして空中で顔面同士ぶつかった。軽い脳しんとうで起き上がったら白いユニフォームは真っ赤だった。
救急車を呼ぼうとするメンバー。興奮で痛みがなかったのでそれを『お酒つけとけば治ります』とよくわかんないことを言って断る。
試合が終わりタバコを吸う(今はもうやめました)。吸った瞬間に衝撃的な事件が起こる。タバコの煙が肺に入っていかない感覚。まるで吸ってる感がない。ん?んん?吐いていないのに頬の下から煙がでてる?ん?あわてて近くの車のミラーを覗き込む。
ひーっ!!や、やぶけてる!!
その傷口から煙がじわじわ出てる。この世のものとは思えない映像。
『きゅ、きゅ、きゅうきゅうひゃをよんてくたはい!』気絶しそうになりながら病院へ搬送。
手術後に衝撃的事実。『ほっぺたに歯が入ってたよ!』ですって。
ぶつかった彼の前歯も確かにかけていた。
そうやって何度も傷つき倒れながら月日を重ねぼんやりと何かを忘れている事に気付いていく。あれ?そうだ!音楽だ!うっかりしてたぜ!!バンドやろうぜ!

ってなわけで話は戻って初ライブは札幌ベッシー・ホール。
その時のライブの映像が残っている。
くどいですがオリジナルは1曲しかないのでカバーもやりつつ。このカバーは死ぬほど恥ずかしいので記憶からも抹消したいです。
ある奴はハーフパンツにサンダルだったり、ある奴は金髪スーパーサイヤ人だったり、ある奴はなんかジャミロクワイみたいなでっかい帽子かぶってたり(山内)で相当チャラい。しかも恐ろしく下手。変拍子じゃないのに所々に変拍子に聴こえたりしてる。逆に高度なことしてるんじゃないかと錯覚するくらいに。
しかも想像してください、ギターの田中はそもそもメタル好きだったので間奏にはイングウェイみたいな早弾きメタルソロが入る感じを。
(注:当時のドラムは現メンバーの津波ではありません。)
流出させないためにもこの映像は然るべき手段で処分をしなくてはならない。
というわけで初ライブは散々たるものだった。全ては終わったと確信できた。
結局この編成でのライブはこの初ライブのみとなった。

このままではこのバンドは終わってしまうというわけで、苦肉の策だが内蔵改革→ベース山内とギター田中をパートチェンジしてみる。
それくらいしかこの状況をごまかせることができなかった。
しかしこれが功を奏した。スタジオに入ってすぐに確信する。何かがピタッとはまった感じというか、今もあの瞬間のあの感じを憶えてる。
バンドにとって色んな事が想像できるということは何より大事なんだと思う。
結成4年くらい経ち、やっと普通のバンドのように動き出しはじめる。
今もまだまじめに音楽にはげみなさいという戒めの刻印のように右頬には傷が刻まれている。