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Japanese

或る感覚

Skream! マガジン 2015年02月号掲載

2015.01.10 @下北沢ERA

Writer 天野 史彬

去年、"最近は四つ打ちのロックが流行っています。もう少ししたらブラック・ミュージック的なリズム・アプローチのロックが流行るでしょう"――周囲から聞こえてくる、そんな天気予報みたいな分析にうんざりしていたところに、或る感覚の2ndアルバム『バイタルリスペクト』は届けられた。痛快だった。人が音を鳴らしている。人が歌を歌っている。ただそれだけを突き詰めたアルバム。怒りとか妬みとかじゃなくて、あなたと分かち合いたいこととか、あなたに伝えたいことが溢れてしまって、それがドラマチックな音と言葉になって響いているアルバム。本当の意味での"カウンター"精神に満ちたアルバム。彼らが出会い、愛してきた音楽に対する敬意に溢れたアルバム。このアルバムを聴いたとき、自分が今欲しているものはこれだと思った。

音楽シーンにおいて、時代を変える"状況"(意味は少しずれるけど、違う言いかたをすれば"ムーヴメント"かな)というものは狙って生み出されるものではない。まぁ、歴史を振り返ればあまりに優れたプロデュース能力を持つ人間によって意図的/戦略的に状況が変えられる場合もあったりするけど、そうやって生み出された状況は、大体、長続きしない。そのプロデューサーが飽きたときに終わってしまう。最初に書いたように、"今は○○が流行っているから、次は××が流行ります"という物言いは、それが当たろうが外れようが、ピンとこない。だって、音楽を聴くのは"人"なのだよ。人が音楽を求める心を馬鹿にしてもらっちゃ困る。状況が状況を生み出すのではない。人の声が、人と音楽の繋がりが状況を生み出すのだ。"流行"なんていうものは、状況が生み出されたあとに僕らのような売文家がダラダラと語ればいいことなのだ。だからSkream!を読んでいる君のような若者は、欲しいものを欲しいと叫べばいいのだよ。周りがどうとかじゃなくて、自分が欲する音楽に誇りを持てばいいんだよ。そこからしか新たな状況は生まれない。たとえそれが世に言う"四つ打ちロック"だろうが、インディー・ポップだろうがジャズだろうが、なんだって構わないんだよ。その代わり、なんで自分がその音楽を欲するのか、どこまでも真剣に考えるべきだ。みんな、自分の欲望に真剣であるべきだ。その先にある答えは、自分の人生とか生きかたとか、そんなことにも深く繋がっていたりするものだから。

或る感覚は『バイタルリスペクト』で、自分たちが鳴らしたい音を、伝えたい歌を、周りなんて気にすることなく、どこまでも実直に追い求めた。かつては周囲への敵意を剥き出しにしていた彼らが、どこまでも実直に。そう、今の或る感覚は、欲しいものを欲しいと、歌いたいことを歌いたいのだと、ただひたすらに叫んでいる。

そんなアルバム『バイタルリスペクト』のリリース・ツアーである"-ファイティングゴリラ- DAN NO URA"の東京編、下北沢ERA公演。対バンはSuiseiNoboAz、THE NAMPA BOYS、Dr.DOWNER。この顔触れそのものが、今の或る感覚が伝えようとしていることを雄弁に物語っている。パンク、ハードコア、グランジ、エモ――70年代以降、連綿と受け継がれてきた感情表現としてのロックの流れを今の時代のど真ん中に打ち込むこと。特にbloodthirsty butchersやeastern youth、ナンバーガールなどに代表される90年代以降の国内オルタナティヴ・ロックの意志をこの時代に引き継ぐこと。自分たちの"人生"そのものとしての音楽を開放すること。そして、"歌"を届けること。この日、ERAに集結した4バンドの音楽性や生き様を見れば、或る感覚がこのツアーにどんな想いをかけて臨んでいるのか、その答えは明白だった。

前述した3バンドが、その人間性と直結した音楽をフロア中に浴びせかけたあとに登場した、或る感覚。まず、ステージ上のメンバーの佇まいがよかった。確信に満ちた眼差し。きっと今の彼らには自信があるのだろう。それは気分だけの自信なんかじゃなくて、ただただ、自分たちの歩むべき道を見据えているがゆえの自信だろう。ライヴは『バイタルリスペクト』と同じく「ファイトクラブ」、「赤い春」、「画家と筆」の流れでスタート。音源もそうだったけど、とにかく音が太い。どっしりとしたグルーヴ感。インタビューでヴォーカルのロンは"グルーヴィなサウンドは歌を活かす最高のオケで、歌を前面に押し出したら自ずとBPMは下がった"と語っていた。つまり彼らは、怒りや戦略に突き動かされたのではなく、今、自分たちがやらねばならないことをやっただけで、昨今の国内ロック・シーンの主流にある高速ダンス・ロックとは違った磁場を産み出したということだ。このロンの言葉、この姿勢、ここで巻き起こる音楽の変化こそが"カウンター"であり"批評"だ。今の或る感覚はとても批評的なバンドなのだ。

たしか「対話」の前だったかと思うが、ロンのギターの音が出なくなって、彼はハンドマイクで歌い始めた。その演奏が、決して完成度は高くない、むしろ危うさすら感じさせるぐらいのギリギリのバランス感なのに、自己の内面に鋭く刻み込むようなヒリヒリとした感触と、他者を抱きしめようとするような深く大きなぬくもりが一体になって響いてくるようで、素晴らしかった。その演奏には、狂おしいくらいに"人間"そのものが鳴っていた。本編ラストに演奏された、『バイタルリスペクト』の核を成す名曲「亀の速さで」もよかった。ピッチなんて関係なく響くロンのどデカい歌声も、悲しみとそこから生まれる決意を優しく奏でるギターも、曲のメッセージのようにゆっくりと確かな1歩1歩を刻んでいくような未来へ続くビートも、そのすべてが"正しさ"なんてものからは遠く離れた場所で、でも圧倒的に人の心を打つ音楽として鳴っていた。この世は正論だけでは回ってなんかいない。だから、正しくなくたっていい。間違ったっていい。不安でいい。悲しくていい。負けていい。そのすべてが歌になる。そのすべてを、或る感覚は歌にする――そんな決意表明としても受け取れるような演奏だった。

この日のMCでロンは、"バンドが本当にやりたいことを見らせれるのはワンマンだけだ"と語っていた。きっとそうなのだと思う。自分たちの生き様を自分たちの身体と音楽だけで示せる場所――それがワンマン・ライヴだから。彼らはこの日も含め、ここから続くツアーの中、対バン相手たちに揉まれまくって"本当にやりたいこと"をやりに帰ってくる。本当に伝えたいことを、より高い熱量で伝えに帰ってくる。ツアー・ファイナル・ワンマンは4月のO-Crest。楽しみだ。

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