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LIVE REPORT

Japanese

米津玄師

Skream! マガジン 2015年01月号掲載

2014.12.11 @LIQUIDROOM ebisu

Writer 沖 さやこ

この日、米津玄師が語った、"1個1個積み上げていきたいと思ったんですよね"というひと言。これは彼の活動すべてに共通することだ。2009年にVOCALOIDクリエイター"ハチ"として活動を始め、2012年に米津玄師名義で自身がヴォーカリストとなり初作品『diorama』をリリースする。MVとジャケットは彼が描いた絵で、その当時姿は明らかになっておらず、こんな声をしている人なんだ、と思った記憶がある。そして2013年にメジャー・デビューが決定し、そのアーティスト写真で、顔は髪でほとんど隠れていたものの姿を拝むことができた。2014年に代官山UNITにて初ライヴ。今回は"続編"と称し、大阪と福岡とここ東京の3ヶ所でワンマンを開催した。この5年間で、彼は少しずつ少しずつ我々の前に姿を現してきた。そして、この日彼がバック・バンドを引き連れてステージに立ち、1曲目の「街」を鳴らした瞬間、安堵感にも近い感慨深さがあった。なんだか、やっとちゃんと彼に会えた気がしたのだ。

朝焼けのように緩やかに優しく、開けた音で丁寧に自身の世界への扉を開くと、同期音を巧みに扱う「リビングデッド・ユース」「MAD HEAD LOVE」「駄菓子屋商売」へ。フロアのクラップも喜びに満ちた音を鳴らす。これまでずっと彼の音楽を聴いてきた筆者だが、実際に楽器隊を従えて演奏される様を見て、不思議で風変わりな音楽だと改めて思う。バンド・サウンドというものの常識にとらわれていない自由さや奔放さは、ロック、ポップスやヒップホップ、スカ、鼓笛隊や吹奏楽、ジャズ、はたまたちんどん屋までがごったがえして仲良く祭りに興じているようだ。それと同時に、米津玄師という人間の確固たる個と、その歴史をまざまざと見せつけられるようでもあった。彼の理想郷とも言うべき楽園のストーリーが、米津と、中島 宏(Gt)、須藤 優(Ba)、堀 正輝(Dr)の手によってどんどん紡がれてゆく。

ミディアム・ナンバーの「眼福」は米津が1番をすべて弾き語りで演奏。音源ではヴォーカルにエフェクトがかかっていることが多いのもあり、彼の声がそのまま届くことに喜びを感じる。喋りかたは照れもあるのか少々ぶっきらぼうだが、歌になると途端にソフトになる彼の声と、ブルージーな間奏が心地よさを誘った。「vivi」ではステージのバックにクレヨンで描かれた線が様々な形を作り出す絵が映し出される。それは単純な1本の線も、他の線と絡まったり、自身も姿を変えることでいろんな形を生むことができるという提示にも見えた。その様子が、米津が少しずつ環境を変えて様々な人々とコミュニケーションを取る姿と重なる。そしてこの「vivi」という曲もまた"愛してるよ、ビビ"と歌う、人を求める歌ゆえに、胸に迫るものがあった。そしてそのあとに演奏された「アイネクライネ」は、「vivi」で差し伸べた手で引き寄せて抱きしめるような、愛に満ちた空間で、それを歓迎するように自然とフロアからは高く上げた腕が揺れる。そのあたたかさに、恍惚とした。

"生きてていいことってあんまないよね(笑)。でも今すっごい楽しくて。今回大阪と福岡とで3ヶ所回って、これをやるために音楽をやってきたと思うようなツアーだった"と語る彼は、照れ隠しか戸惑いか"よくわかんないんだけど"と言いながらも力強く感謝の弁を述べた。そしてライヴ会場のキャパシティに関して、もっと大きいところでやるべきではというスタッフの提案もあったことを語ると"やっぱり1個1個積み上げていきたいと思った。中身が伴わないハリボテでは意味がない。俺は意味があることをやりたい"と今回の決断に至ったことを冷静に且つ丁寧に話す。この日は彼にとって4回目のライヴ。聡明な彼のことだ、きっとこの日も大いに楽しみながら、様々な次への課題が浮かんでいただろう。その行動すべてが彼の未来に繋がっているのだ。その後は「ゴーゴー幽霊船」、背景の映像との一糸乱れぬシンクロも見事だった「TOXIC BOY」とアッパーな楽曲を続け、彼がハチ名義で発表した「パンダヒーロー」を披露すると、映し出されたMVとの交錯も相まってフロアからは大歓声! その高揚のままラストの「WOODEN DOLL」へと駆け抜け、フロアに多くの笑顔を生んだ。

アンコール1曲目は来年シングル・リリースされる「Flowerwall」。新たな一歩を踏み出した彼に相応しい、新たな場所へと手を伸ばす、煌びやかな包容力のある希望に満ちた楽曲だった。そしてハチ名義で発表した「ドーナツホール」と「遊園市街」を届け、特に「遊園市街」はギター・ストロークが主導を握るストレートなギター・ロックゆえに、バンドのグルーヴにもしなやかな心地よさが生まれていた。

2014年、米津玄師はステージという場所に立ち、観客の前に姿を現した。彼はこれからもっと多くの人々と顔を合わせて音を鳴らしていくだろう。この3公演を境に、彼の描く世界がまた大きく広がる予感がした。

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