[SONY MUSIC JAPAN] 2012.2.8 ON SALE
EICP-1518 \2,520(税込)
アメリカはデンバー郊外の物静かなベッドタウンから出てきたTHE FRAY。4人が織りなす美しいメロディーと舞い上がるようなヴォーカルが綾なすタペストリーは、希望や傷心といったこころにうったえかける物語を歌っている。
THE FRAYはIsaac Slade(Vo&Pf)とJoe King(Gt&Vo)によって2002年に結成。地元でのギグを繰り返し、熱狂的ファンを徐々に獲得する。地元での人気に火がつきはじめたときには、デンバーの、ウェストワード・マガジンの"最優秀新人バンド賞"を受賞。デンバーの大手ロック・ラジオ局で、頻繁にO.A.されたデモ・ヴァージョンの「Over My Head (Cable Car)」は、わずか4カ月でKTCL局の2004年年間最多プレイ上位30曲にランクインした。2004年、噂をききつけたエピック・レコードはバンドと即契約。そして昨年9月、デビューアルバム『How To Save A Life』が全米でリリースされることになる。
"3年前には不動産会社を始めようかなって考えてたんだ"と笑うのは結成メンバーのKing。地元の楽器店で同じ学校に通っていたSladeと偶然に出会ったことがジャムセッションにつながり、それが予期せぬソング・ライティングにつながり、またそれがTHE FRAY結成につながった。メロディを生かした高揚感のある曲に飛びついたのが、Sladeの以前のバンド仲間だったドラムスのBen WysockiとギターのDave Welsh。"あの頃Benと僕はペアのようのなものだったんだ"とWelsh。"Benが先に参加したんで、僕なしじゃ寂しいだろうと思ってさ"
4人とも腕利きのミュージシャンだったのも幸いだった。幼い頃からピアノを習っていたKingは、中学校でピアノをやめてギターに転向するまでは地元のコンテストに出たほどだった。"8年生のクラスでカッコいいやつはみんなギターを弾いてたから、僕も仲間入りしたかったんだよ"とKing。Sladeは8歳で歌い始め、11歳になってピアノを弾き始めた。高校ではギターも習った。"初めて曲を書いたのは16歳で、ギターを初めて手にした年なんだ"とSlade。Wysockiがドラムを習い始めたのは6年生のとき。それまでは両親に勧められてピアノを習っていた。Wysockiの家族は音楽一家で、ピアノとサキソフォンを習っていたが、12歳でギターに魅力を見い出した。
こうしてラインナップが決まると、あとはバンド名だ。ソング・ライティングで言い争いになりがちなのをもじって、"THE FRAY(口論)"はどう?と誰かが言いだし、それいいね、ということで名前も決まった。時に切なく、時に軽快なピアノと、緩急使い分けたアコースティックとエレクトリックのギター、タイトで優しいリズムが作りだす感動的で洗練されたサウンドは、Sladeの痛々しいほど美しいヴォーカルに見事に寄り添っている。バンドのUSでの1stシングル「Over My Head ~想いのすべてを歌にして」は、叙情的で心に染みるメロディラインが素晴しい。USセカンド・シングルでタイトル・トラックの「How To Save A Life ~こころの処方箋」は魂の救済について考えさせる悲痛な1曲。Sladeがクラック依存症の友人を支えた経験に基づいている。2曲とも圧倒的な臨場感でスピードアップしたかと思うと一挙にスローダウンし、クレッシェンドで盛り上がる頃にはリスナーは心をわしづかみにされてしまうだろう。
ソング・ライティングの質の高さを考えると、バンドが1年足らずで地元の脚光を浴びるようになったのも不思議ではない。2004年1月にはギグの場所を探す無名のバンドだったのに、その年の12月にはラジオでかかるようになり、500人規模の会場をソールドアウトにするほどになっていたのだ。2005年9月にリリースされたデビュー・アルバム『How To Save A Life ~こころの処方箋』は、全米でダブル・プラチナを記録し、2009年の2ndアルバム『The Fray』は全米初登場1位、1st&2nd共にグラミー賞ノミネートという快挙を成し遂げている。