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sleepy.ab「二度寝する奴ぁ三度寝る」【第7回】

2012年05月号掲載

sleepy.ab「二度寝する奴ぁ三度寝る」【第7回】

このコラムを始めてから色んな方におもしろいです!楽しみにしてます!とか言われるのですが、なかには、成山さんってそんな人でしたっけ?という声もちらほら聞かれます。
なるほどと思う。文章にするとテンションが上がっているってことがよくある。
メールでは流暢でびっくりマークなんか使ってテンション高いくせにいざ電話になったら相手がびっくりするくらい低くダルそうな奴いるでしょ。それ俺です。小学校の時に給食で椎茸が食べれなくて五時間目も終わり掃除の時間になってもまだ食べられなくて泣いている奴いたでしょ!?
俺です。。

さて、前回それはそれは世にも恐ろしいライブにまつわるお話をしました。
因縁の地、渋谷。(ごめんね渋谷。)ここを語るにはもう一つ話しておかなければならないライブがある。そのライブについて書こうと思う。
早速日程などをネットやら調べ始めたが痕跡がどこにもないのである。何かの得体のしれない力が働いているのか?陰謀か?誰がなんのために!?
さらにしつこく調べるも記録的に抹消されているのである。
このライブはプレゼンライブというものだった。
プレゼンライブとはレコード会社とかにライブを見せるライブのこと。
もちろん一般のお客さんはいない。レコード会社の人、業界関係者?のみで会場は埋め尽くされる。
場所は渋谷。出来たばかりのDUO。キャンドルの置かれたテーブルがあったりでちょっとしたディナーショウのような感じだ。その頃のスリーピーはといえば二枚目のアルバム「traveling fair」を発売したあたりなので2005〜6年ということになる。
東京に出てメジャー進出!とか全然考えていなかったので、なぜそんなところにいたのか今でも謎だ。出演しないかと打診されたときもプレゼンがなにかも知らなかったし。その意味を知らされてもどうせ数合わせでしょ?とひねくれて見せていた。

それが日を追うごとに何だかプレゼンという言葉に支配されていくのです。それまでなんとなく始まってなんとなく続いていたバンドだったからあまりそういう色気づいたイベントとは無縁だったし、そういうのからどちらかというと避けてきた経緯もある。圧倒的に慣れていないのです。
プレゼン、プレゼン、プレゼン、レペゼン、ん!?レペゼン?プレゼン!!
意識すればするほどだんだんと億劫になる。そして試されるという事への反骨精神などが急に生まれる。「ロック」という言葉を都合良く用いたくなる。
そしていよいよ前日。寮と呼ばれている事務所でみんなが寝静まった後、一人眠れずに考え込む。満を持して秘策が生まれる。何の為の秘策か?
その時の心境を正直に話すと『狙っていた』とだけ言っておこう。

そして当日。今日の会場DUOはジャミロクワイがプロデュースということで予てからのファンだったGt山内は二階にあるジャミロクワイのシンボルマークの前でおのぼりさんよろしく、記念撮影をしていた。無事リハを終えて会場。まず二人の女の子がアコギで歌っていた。有望なんだろうなきっと。と思って見ていた。
続いて高い声の鍵盤を弾く男の子。有望だなとやっぱり思った。
そして自分達の番が来た。なぜここにいるのか?これは罠なのか?自分の為にこんな手の込んだ罠を仕掛ける奴いねえよといういつものルーティーンを繰り返す。もはや人を書いて飲みこむやつみたいなもんだ。
そして関係者だけの前で演奏が始まる。中々ない経験だ。
これがね、とてつもなくいい演奏だった。
なんというか音に集中力があって筋が通っているというか、鮮明で鋭利なのに痛くないというか。(こういうのたまにあるんだよな。)
いよいよ最後の曲。その前に、いよいよ秘策がここで投下される。これはメンバーにも何も伝えていない。一週間だんだんと勝手に追い込まれ考え込み結局は一夜漬けの秘策を。
『改めましてsleepy.abです。えーっと、メンバー紹介します。』
メンバーの視線が一気に俺に集まる。多分二度見してたと思う。
それまでのライブといえばMCといえばほとんどなく、ただ黙々と演奏だけしてたっていうのが常だったので、さすがにこれはメンバー全員面食らっていました。
そして内容がまずかったのが、1人ずつの性格を言って紹介〜本人に挨拶させるフリという難易度の高い、せめてワンマンライブなら命と引き換えに許そうというレベルのものだった。しかも肝心の紹介する内容はアドリブという。
なもんで『まるでメンバーのお父さん、Bass田中秀幸!』ってなことになる。
それを言われて君はどう答えるよ?おう?テリーマンの声優と同姓同名です!ぐらいしか答えはないぞ。そうやって1人ずつ地獄に落としていくのです。
会場もドン引き。まさに北海道の雪原風景が見えましたといった感じです。
あの時のDr津波の引きつった笑顔は今も忘れません。
なぜこんな事が起きるのでしょう。まさかメンバーも、こんな人の目も見れないような奴がメンバー紹介するなんて夢にも思わなかったはず。俺も前日の夜までは思ってもみてない。演奏を終え楽屋に戻る。みんな黙り込んでいる。
テリーマンがその沈黙を破る。『そういう事するなら事前に伝えといてよ!』と吐き捨て楽屋から去っていく。それに釣られるようにみんな部屋を後にする。がらんとした静かすぎる部屋に1人になりそこでようやく気付くのです。
やべーことした、と。テリーマンこと田中秀幸は結成以来それまで怒った事もなければ声を荒げた事もなかった。仏の田中と勝手に呼んでいたほどだったのでそのアクションにはものすごく動揺した。
ただこれだけは言わせてほしい。なんか狙っていたんです。

それ以来俺はセンターの場所をGt山内に追われ、上手側で歌う事になるのです。
というのは嘘ですが、バンドにおける発言力はこれを機に急速に失いました。
メンバーがたまに酒の席で思い出して言います。「今度あれやったら辞める」と。
今度いい機会があったら最高のメンバー紹介してやろうと企んでいます。
『まるでおじいちゃん、Bass田中秀幸!』