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INTERVIEW

Japanese

moke(s)

2018年07月号掲載

moke(s)

Member:町田 直隆(Vo/Gt) 海北 大輔(Ba) 小寺 良太(Dr)

Interviewer:高橋 美穂

BUNGEE JUMP FESTIVALのフロントマンだった町田直隆が、LOST IN TIMEの海北大輔をベーシストとして呼び込み、2014年に結成したmoke(s)。そして、かつては椿屋四重奏のメンバーとして活躍し、現在は様々なアーティストをサポートしている小寺良太ものちに参加。誰もが予測できなかった、あらゆる意味でスペシャルなバンドとして注目を集めてきた。そしてこのたび、待望の1stミニ・アルバム『BUILD THE LIGHT』がリリースされる。ここに至った経緯を、3人に訊いた。

-moke(s)が始まったきっかけは、このふたり(町田、海北)ですか?

町田:そうですね。ノグチサトシ君っていうシンガー・ソングライターがいて、そのアルバムに、僕と海北君が参加しているんですよ(※2013年リリースの『負け犬』にふたりがバンド・メンバーとして参加)。それでそのレコ発に、海北君と僕が誘われて。僕は普段ソロをやってるから、"町田さん、ソロで出演してください"って言われたんだけど、海北君もいるし、せっかくだから普段やらない編成で出たいと思って、ダメもとで海北君に"その日限定でバンドをやろうよ、海北君ベース弾いてよ"って誘ったんです。そうしたら海北君が、"俺も出るしいいよ"って言ってくれて。そのときのドラムは元andymoriの岡山健二君でした。岡山君も仲いいんで彼も誘って、3人で初めて演奏したんです。そうしたら、自分の中で手応えがあって。それまで、バンジー(BUNGEE JUMP FESTIVAL)が解散してからはひとりでやっていて。バンドもちょくちょくやってたんですけど、なかなか本腰を入れてやりたいって気持ちになれなかったんですね。でも、その3人でやったときに、単純に楽しくて。"こんな感じなら、俺またバンドやれるかな"って思ったんです。で、そのライヴのあとに"続けていこうよ"って話したら、"いいよ"って言ってもらえて。

海北:で、スタジオに入ることになって、足繫くスタジオに入るルーティンができて、そこで町田君がオリジナルを作ってきたんですよ。そうしたら、その次のリハでもまた曲を作ってきたんです。制作意欲にも火がついちゃったみたいで。

町田:そうそうそう。海北君もプレイヤーとしても素晴らしいから、ストレスなく曲が書けることに感動して。最初は、"町田直隆スーパートリオ"みたいな感じで、僕が主役みたいにやってたんですけど、これは独自のバンドにした方がいいんじゃないかなってことで、"moke(s)"ってバンド名を付けたんです。

海北:町田、岡山、海北だから、m、o、kを使いたいってことになって。"moke"って駄馬っていう意味なんだけど、町田君が"ぴったりだ!"って言ってくれたんです。

町田:それで、この3人で何枚かデモCDを作ったりして活動していたんですけど、健二君が、自分の活動に専念するから抜けたいってことになって。彼が脱退する前のライヴ(2014年11月20日に下北沢SHELTERで開催した"moke(s)1st live「FORGIVE YOUR DARKNESS vol.1」")に、小寺君を海北君が"観に来てよ"って誘ったんですね。

小寺:久しぶりに、珍しい奴から電話がかかってきたなぁって思って(笑)。たまーにロスト(LOST IN TIME)を観る機会はあったんだけど。町田君とはほとんど面識がなかったの。前にニアミスはしてると思うけど。で、久々にSHELTERに行ってmoke(s)を観たんですね。そうしたら、ワクワクしちゃって! 俺、楽屋でずーっと"いいなぁ! いいなぁ!"って言ってたんです(笑)。"ロック、いいよねー!"って、中学生みたいに。打ち上げでも、出演者でもないのに機嫌良く飲んで(笑)。

海北:そういうのもあったんで、健二君がやめるタイミングで、"小寺君いいドラマーだから声を掛けようよ"ってなって。それで、この3人になったあたりから、町田君のサウンドが、どんどんリフが強くなっていきました。いわゆるオルタナティヴでグランジなサウンドになっていったんです。

町田:それまでは、言ってしまえば、バンジーの延長線上に近かったんです。海北君がロストをやってるっていうのもあって、それを意識していたし、わりとギター・ロックっていうか。

小寺:リハに初めて行って音を出したときに、やたらアンプの音が大きかったんですよ。僕は椿屋(椿屋四重奏)をやめてから、フリーのドラマーとしていろんなサポートやレコーディングをしてきて。もともと大きい音を出すのは好きでも、呼ばれた環境に応じて音を出してきたんですよね。でも、moke(s)は、まぁ音がデカかったんで。しかも、呼応してどんどんデカくなっていくんですよね。

町田:moke(s)がこうなっていったのは、このメンバーだからなんです。僕、椿屋はちゃんとライヴも観たことがなかったんだけど、わりと歌モノのイメージだったし、小寺君のドラムも未知数だったんです。だから、叩いてもらってビックリして。"うわ! この人ってこんなロックなドラマーだったんだ!"って。小寺君が入ったことによって、バンドの方向性がオルタナティヴやグランジっていうふうに定まったんですよね。バンジーも、最初のころはわりとそういうサウンドだったんですよ。だから、"このメンバーなら、あのときやりたかった音楽をやれるんじゃないかな?"って。40歳を前にして、こういうメンバーに出会えたんだなぁ......って思っています。

-わかりやすく経緯を話していただいたんですけど、いくつか訊きたいポイントがあって。まず、町田君は、海北君を"ベーシスト"として誘ったんですよね。

町田:その前にも、海北君がお忍びでベースを弾いてくれたこともあったんですよ(笑)。

-そうなんだ。もちろん海北君はベーシストでもあるんだけど、ヴォーカリストという印象が強いから、ベーシストとして誘える人って、なかなかいないと思うんです。

町田:もしかしたら、僕しかいなかったかもね(笑)。

海北:その先入観はね、俺はもういらないんだよねぇ。僕自身は、ベースで世に出たかった人間なんです。LOST IN TIMEを組む前はヴォーカルやってなかったし。自分の作った歌を、しょうがなしに自分で歌い始めたのが、LOST IN TIMEだから。

-しょうがなしが、こんなにも花開いてしまったと(笑)。

町田:しょうがなくて良かったよね(笑)。

海北:(笑)それは良かったんですけど、moke(s)に初期衝動が出ているひとつの要因は、中高生のときに僕がステージに立ちたかったスタイルができているからなんですよね。

-さっき町田君も"あのときやりたかった音楽をやれるんじゃないかな"って言ってましたしね。じゃあ、誘われて嬉しかったし、長く続けたいと思いましたか?

海北:ヴォーカリストとしても、町田直隆をずっとリスペクトしてましたし。こんなとんでもない歌を歌える奴は、そうそういないぞって。

町田:これを海北君に言わせる俺、すごくないっすか(笑)!?

-すごいすごい(笑)。

小寺:なんじゃこの空気(笑)。

海北:(笑)たしか"SET YOU FREE"(※日本全国で開催されているインディーズ・イベント)だったと思うんですけど、昔弾き語りスペースで15分くらいしか持ち時間がない町田君が、12~3分、客席に背中向けて微動だにせず立ってるんです。そうしたら、残り時間が少なくなったなかでクルッと振り向いて"俺が町田直隆だ!"って言って、ギターを弾きまくって、マイクで"ウォー!"って叫んで終わるっていう(笑)。その衝撃が忘れられなくて。その実、繊細でメロウな歌も歌える人ですから、振れ幅が広いんですよね。そんな彼が、ソロ・ワークとは別にバンドを始めるときに、なるべく枷になるようなことは除外できたらいいなって。僕も前に立つ人間なんで、いい形でサポートしたいと思ってます。

町田:さっき"お忍び"って言いましたけど、僕、ソロで1stアルバム(2007年リリースの『栄光なき兵士達に捧ぐ』/現在は生産終了)作ってて、そのときに海北君が何曲かベースを弾いてくれたんです。なんで誘ったのかは謎なんですけど。

海北:俺から頼み込んだんです。町田君の後ろで弾きたかったから。

町田:そのときのベースが、すげぇ良かったんです。

海北:やったぁ(笑)!

町田:ベーシストとしてもすげぇじゃんって。だからこのバンドにも誘えたんですよ。海北くんはヴォーカリストのイメージが強いと思うから、みんなはベーシストとして誘うこと自体失礼だと思っちゃうんでしょうけど、俺はそのワン・クッションがあったから誘えたんですよね。