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INTERVIEW

Japanese

こゑだ

2017年12月号掲載

こゑだ

Interviewer:石角 友香

supercellのゲスト・ヴォーカルとして中学生でデビューし、2015年にsupercellのryoが全面的にプロデュースした1stミニ・アルバム『Nice to meet you.』でソロ・デビューした"こゑだ"。いわゆるボカロP全盛期のあとに訪れた"歌が破格に上手くて匿名的な女性シンガー"というイメージが強い彼女だが、約2年ぶりとなるニュー・ミニ・アルバム『モンシロチョウ』では、馴染みの面々以外にアレンジャーとしてGENTOUKI田中 潤を迎えた有機的なナンバーも収録するなど、よりシンガー・ソングライター的なスタンスも強まった。自在に声を操り、陰影とイノセンスに富む表現を行う彼女のパーソナリティと新作に迫る。

-supercellのヴォーカルからスタートして10代のうちに数年の経験を積んできたこゑださんですが、前作の『Nice to meet you.』から今回の『モンシロチョウ』に至るまでに、こゑださんの中で、何か変化はありましたか?

変化は常にあって、1stから2ndもいろんな変化の中で作り上げたものなんですね。supercellで歌ってたころは、ryoさんが作詞作曲もして、曲がすでにあるなかで私はヴォーカルを担当するだけだったので、今思えばすごく簡単なことだったとも言えるんです。でもソロ・デビューをするときに――それまでも自分で曲を作るっていうのはしてたんですけど、それをCDにするってなると、なんか力が入っちゃってなかなかできなくて。1stのころに私が思ったのは、新卒の人が社会に初めて出たときに似てるのかなって。今までは学生で"これをやりなさい"って言われたことだけをやってればうまく進んでいけたけど、社会に出たら待ってるだけじゃダメじゃないですか。自分からアピールしたりとか。

-言われたことだけやっていてもダメだと?

例えば壊れそうな橋があって、渡るか渡らないか自分で決めないといけないというか。渡った先に何があるかわからないけど、こっちにいるだけだったら、こっちにあるものしか見られなくて、でも向こうに何があるかわからないし、もしかしたらこっちにいるよりも悲惨な状態かもしれない。でも、渡ったら自分が想像してたものをはるかに超えたいい結果があるかもしれない。だけど、もしかしたら渡ってる最中に橋が壊れちゃうかもしれないし、辿り着いたとしても帰ってこれないかもしれないときに、渡るか渡らないか判断しないといけないのは自分だし、そこを判断したことによって未来の自分が決まってくると思うんです。振り切った判断というか、"行くぞ!"って決めないといけないと思うんですね。そういうのを迷う時期というか、1stを出したころはそれに直面して。とりあえず大人に相談しようと思って。でも相談しても、返ってくるパターンは人によって違って、渡った方がいいって人もやめた方がいいって人もいて。自分がどっちがいいと思ってるかわからなくなることもありました。

-それは具体的には曲調とか歌詞の内容ですか?

曲調でぶつかったとかではなくて、もともと一番やりたいことは歌で、こんなジャンルがやりたいというより、もう全部のジャンルで歌えるものは歌っていきたいっていう気持ちはあって。なので、そのことは制作する人には伝えながら、相手の方が経験値が上だから教えてもらうって意味で、全部すんなり入ってきてました。

-じゃあ、活動の仕方で戸惑ったという感じ?

今まではレコーディングのスケジュールを待ってるだけだったんですけど。大きく違うのが、作詞作曲が自分名義のこゑだとして出すので、プロデューサーのryoさんに引っ張っていってくれるというよりは、自分で作り上げる作品だから自立しなきゃいけなかったんですよね、1stのときは。そういう意味で、今までは大人の人に引っ張ってもらえる状態だったけど、自分で動かなきゃいけないっていうのを学んだんです。そしてそこから2ndを出すまでには......やっぱり1stを出してから、"やってやるぞ!"って気持ちはすごくあったんですよ。まずそれまで顔も出してなかったんで、1st以降、顔を出すようになって。そこで不安もあったけど、みんな受け入れてくれて、反応もすごく良かったから安心しました。そこから初めてのライヴをしたり、ラジオに出させてもらったりとかして、こゑだとしての取材をしてもらえるようになったんですね。以前は歌の表現力で自分の気持ちを伝えるだけの感じだったけど、今は作詞も作曲もできて、自分の世界をみんなにもっと伝えることができるようになったし、あとは歌のエディットというか、どの歌声をチョイスするか? っていうのも自分でできるようになったから、CDでは表現の幅も広がったし、自分の表現をするようになりました。だからテレビもラジオもメディアにはどんどん出ていきたいなと思ったんですね。でも、1stを作ってライヴもして"これからだ"と思ってたときに、ぱたっとそこで活動が止まったんです。なんでなんだろう? ってすごく考えたし、自分の名前でやる活動じゃないですか? すごい意欲的だったのにスケジュールも空いてしまって。でも今考えてみるとsupercellでヴォーカルやってたころと1st出したときも違うけど、さらに2ndを出すときは全部自分でプロデュースするって形を取らせてもらってるわけだし、そうなってくるとより食らいついていかないといけないんだなっていうことがわかって。

-自分からもっと発信していかないといけないということですね。ところでGENTOUKIの田中(潤)さんは、こゑださん自身が見つけてアレンジをお願いすることになったんですか?

もともと、誰にプロデュースしてもらおうかなっていうのは自分で考えてはいて。例えばryoさんや和田たけあき(くらげP)さん、二村 学さんはこれまでも一緒に仕事をしてたんで、今回も一緒にやりたいと思って。あとbuzzGさんはずっとお付き合いがあってお友達で、そういう身近な人たちに一緒に作ってもらいたい気持ちはあったので、自分で"この人がいい"って言ったんですけど。でもどうしても「モンシロチョウは死なない」っていう楽曲と、「LinariaLisa」はちょっとジャズの要素もあるというか、今までやってきたロックやポップスの感じとは違うので、どんな人に担当してもらったらいいのかな? っていうのを最後までずっと考えてて。そこで、"この曲でお願いしたいんだけど、いい人いないかな"って相談したときに紹介してもらったのが田中さんで、お会いしてお話しさせてもらったら、すごい気さくな方だし、田中さんが作られた音源もいろいろ聴かせていただくと、幅広い音楽を作ってらして。で、田中さんの曲の持ち味がキラキラしてる印象があったんです。今までもキラキラしたものをやりたい気持ちはあったんですけど、なかなかそういう人が周りにいなくて。でも田中さんと知り合ったことで、この2曲ではピアノとかも駆使してもらって、イメージしていた感じで作ってもらいました。