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INTERVIEW

Japanese

strange world's end

2017年03月号掲載

strange world's end

Member:飯田 カヅキ(Gt/Vo) 平 マサト(Ba)

Interviewer:岡本 貴之

-普遍的なものを作りたいという気持ちがもともとあるということでしょうか。

飯田:そうです。ただそれが100パーセントいいとは限らないんですけど。例えば"ポケベル"とか"PHS"を歌詞に入れてしまえばそのときは身近に感じますけど、それが20年経ってしまうとリアリティが失われてしまうというか。そういう言葉を入れないようにして作っています。今でいえば"スマホ"っていう言葉とか。

-だいぶ細かいところまで練って作っているんですね。歌詞について平さんは意見を言ったりするんですか。

飯田:歌詞は1回見せるんですよ。それで"これはこの方がいいな"っていう話はされますね。彼はちゃんと歌詞を見る人なので。それによって客観的に歌詞を見れるし、より良い曲にはなっていると思います。"これはこの曲と被ってる"とか。

平:"まったく同じことを言ってるじゃん"みたいなときもあるので。そこは変えた方が良いとか言いますね。

-飯田さんが書く歌詞の世界に共感する部分があるから10年間一緒にやってるわけですよね。

平:いやぁ......。

飯田:ははははは(笑)!

-そうでもない(笑)?

平:歌詞に関しては別に、嫌いではないですけど共感するほどではないというか。歌詞は飯田君の世界観なので、それをとがめることもないし。飯田君の言葉ならいいんじゃないかなって。

-こんな言葉をタイトルに使わなくてもいいんじゃないか、とかは思わずに。

平:まぁ、思ってたらこうなってないですよね。

一同:(爆笑)

飯田:たしかにそれはそうだよね(笑)。

-そうですよね、愚問でした(笑)。それは相談するというよりも飯田さんが決めたものを出している感じなんですか。

飯田:自分の中に迷いがあったらダメだと思うんですよ。迷いがあるときは逆に言わないですね。人間迷ったら弱くなるので。迷いのあるものは残さないようにしています。

-確信の持てたものしか出していないということですね。ちなみに「終了」はレゲエ調の曲ですけど、こういうアレンジは今まであったんですか?

飯田:いや、ないです。この曲は最初はのんびりしたままで終わりだったんですよ。でも、"これじゃぬるいな"みたいな感じで、平君がベースのリフをギャンギャン歪ませてきて。そのままジャムって終わる感じだったんですけど、歌詞をつけた方が良いかなと思ってつけたら"みんな死ねばいい"しかなかったんですよね(笑)。"みんな死ねばいい"を連呼する歌詞が、それまでの歌詞の切り返しでバシッとハマッたんです。

-途中までのメロディも和やかではあるものの、歌詞はあまりにも突き抜けたネガティヴさで聴いているうちに思わず笑ってしまいました。

飯田:ははははは! それでいいと思います(笑)。ライヴで最初に披露したときに、お客さんが笑ってましたから。そういうユーモアを持たせないとと思っていて。もちろん言っていることは真剣に飛ばしているんですけど、何が一番面白いかをいち音楽ファンとして考えましたね。

-心の闇を突き抜けるとユーモアになるんだなって。

飯田:人間ってどうしようもなくなると、笑っちゃったりするじゃないですか? その感覚ではあるんですよね。絶体絶命のときに"もうダメだこりゃ"みたいなことってあると思うんです。その感じが出たらいいなって思ったのがこの曲ですね。いろんな意味でかなりリスキーな言葉を扱っているんで。今の世の中、みんなリスクを負わないようにしてるじゃないですか? でもリスクを負わなければ、より良い何かを得られないと思うんですよね。歌詞はストレートに迷いなく書いているんですけど、前の、もうちょっと意識して作っていたときは届かなかったんですよね。strangeになってから書いた曲というのは、どこかしらで誰かが好きになってくれたり聴いてくれたりする人ができたので。誰かがその言葉を歌ってくれることで自分と重ねることができるようであれば、聴いている人がそれで救われたらいいなって。


"これは親に聴かれたらヤバいな"みたいな音楽でありたい


-"誰にでも必要ではない音楽でありながらも、誰かには必要になるであろう全11曲"というアルバムのキャッチフレーズがありますが、"誰かに必要とされる音楽でいたい"という思いはあるんですか。

飯田:それはありますね。自分は今でもいち音楽リスナーでもあるので。子供のころに、"これは親に聴かれたらヤバいな、部屋入ってこないかな"みたいな音楽ってあるじゃないですか。そういうものでありたいんですよ。親側にとっては"これは子供に聴かせるには早い"みたいな、そういう音楽でありたいんですよね。今、みんながみんなシェアする世の中ですけど、"100いいね!"がついてるものと、ふたりくらいで共有しているもので言うと、100の方が良いのかもしれないけど、ふたりだけが共有しているものだって良いものはたくさんあるし、必ずしも多くの人間がシェアしているものが良いとは限らないわけで。もしかしたら10年20年したらふたりだけが好きだったものが残って、100人がシェアしたものは忘れ去られてしまう可能性があるわけじゃないですか? 最終的にはそこがブレなければ、時間を越えられるものを作れるんじゃないかなって思います。とにかく"危うい存在"でいたいですね。聴く人たちのシェルターになれたらいいけど、その人たちのために作っているわけでもないんですよね。

-誰かのために作っているわけではない?

飯田:最終的には自分のためですね。そうじゃないと、誰も救えないのかなって。自分が納得できないものは人を納得させられないと思っているので。基本はメンバーとジャムって曲を作るんですけど、そこで残ったものなら大丈夫かなと。判断基準はそこしかないですね。

-先ほど、存在理由のために音楽をやっているとおっしゃってましたけど、10年間その気持ちはずっと変わらないですか。

飯田:特にそれを意識してはいないですけどね。例えば映画や漫画から吸収したもの、食べたり飲んだりしておいしかったということをアウトプットするのが音楽しかないんですよね。自分の生活の中心にあるのは音楽なので。自分が戦えるものが音楽しかないんです。