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INTERVIEW

Japanese

Cell The Rough Butch

2016年07月号掲載

Cell The Rough Butch

Member:登 翔一(Vo/Gt) 樫村 涼輔(Dr) 安食 浩太(Gt) 徳田 祐輔(Ba)

Interviewer:白崎 未穂

札幌のギター・ロック・バンド Cell The Rough Butch。今年6月にTOWER RECORDS限定シングル『MOMENT』をリリースしたばかりの彼らが、4年ぶりの全国流通作品となるミニ・アルバム『ロンバートストリート』を7月20日にリリースする。エモーショナルな歌声とメロディアスな熱いサウンドで、今しか見えないそれぞれの瞬間を全6曲に落とし込んだ今作。"ロンバートストリート"のように紆余曲折を経て結成10周年を迎えるという彼らにメール・インタビューを敢行した。

-Skream!初登場となるので、まずは、みなさんが音楽を始めたきっかけをそれぞれ教えてください。

登:僕は音楽に目覚めるのが周りの同級生より遅かったと思います。中学2年生のころにポルノグラフィティがきっかけで音楽を聴くようになりました。どっちかというと周りが音楽を聴いてるから、なんとなく話に乗っからんとなという感覚でした。ポルノをテレビで見て、ギターのハルイチさん(新藤晴一)に憧れて、ギターを買ってもらったのですが、全然弾けなくて、中学・高校はほぼほぼオブジェになっていました。

安食:そうですね、モテたくてギターを始めました(笑)。ちょうど小学6年生くらいだったと思うのですが、小学生のころって、何かしら一番の人がモテるじゃないですか? 足が学年で一番速いとか、サッカーが一番うまいとか。僕、そういう"一番"を持ってなかったので、何かで一番になりたいと思ったときに――それまで音楽とか全然聞かなかったのですが、偶然X JAPANのhideさんを知り、"ギターかっこいい!!"って思ったのがきっかけでギターを始めました。

徳田:兄がバンドでドラムをやっていたので、家で音楽を聴くのがわりと普通の家庭でした。地元が田舎なので練習するスタジオなんてなかったんですけど、家にはドラム・セットもあったし、兄のバンド・メンバーが全員うちに集まってアンプを持ち込んで爆音で練習するわけですよ。当時、小学生くらいですかね? 幼いながらにバンドってかっこいいなって思って、親父のアコギ弾いたりしたのが音楽を聴くきっかけになったと思います。

樫村:僕は中学で入った吹奏楽部がきっかけでした。それまで音楽に興味のなかった僕が友人に誘われて打楽器を始めたのですが、それらが僕を夢中にさせるのはあっという間でした(笑)。いろんな楽器を触るのがすごく楽しくて、そんな毎日の中でドラムに出会いました。ドラム1台でできる表現に魅了された僕は、今でもがむしゃらにドラムを叩き続けています。

-Cell The Rough Butch(以下:ブッチ)は、前向きな歌詞と爽やかなギター・サウンドが特徴的ですが、みなさんはそれぞれどのような音楽に影響を受けてきたのか教えてください。

登:そうすね。ポルノグラフィティのハルイチさんが描く歌詞の世界観には影響を受けましたね。時代を捉えた描き方で、"あーすごく頭のいい人なんだな"と思いました。僕は本当に勉強ができなかったので、頭のいい人に憧れますね。ギターを買ってもらったころから曲を作ってたんですが、ギターを実際ちゃんと弾くようになったのは大学に入ってからです。もともとヴォーカルがやりたかったわけではなく、ギタリスト志望でした。サウンドについてはほぼ札幌に来てからで、COWPERSやbloodthirsty butchersHIGH VOLTAGEのサウンドが大好きで、未だにこのサウンドは自分の中でベースになってます。

安食:最初にバンド・サウンドを聴いたのはhideさんで、そこから、X JAPAN、GLAY、L'Arc~en~Cielと聴き、BLANKEY JET CITYにハマりましたね。と、振り返っているのですが、今のブッチに影響を及ぼしている部分はないかもしれません(笑)。昔聴いた音楽は自分の気づかないところで、もしかしたら取り入れられているのかもしれませんが、どちらかというと札幌を始め、全国にいる仲間の音楽に影響されているかもしれません。"ああいうのかっこいいな!"、"こういうアプローチもあるんだ!"とか、肌で感じられるので。パクったりはしていませんよ(笑)!

徳田:影響を受けたのはLUNA SEAとか90年代に流行った音楽が根元にあります。それからいろんな音楽に派生していくわけですが、基本的にはやはり歌モノです。歌モノのベースって、基本的には歌のためのベースというのが多くて、歌を邪魔しない。なおかつ、より良く歌を聴かせるという意味で弾くとこ、弾かないところがはっきりしてると思うんですが、僕らも歌を聴かせたいってところが共通してあるのでそういう部分は影響を受けてると思います。

樫村:僕がドラムを始めて影響を受けたのはドラマーの神保彰さんです。中学時代に『CASIOPEA VS THE SQUARE THE LIVE!!』(2004年リリース)のライヴDVDを観て、その世界観に引きずり込まれました。神保さんの繰り出すテクニックに憧れ、手数の多いフィルが好きで叩いてますが、曲作りのときは登さんの歌詞の世界観やメロディを邪魔しないように気をつけて叩いてます。

-2006年に登さんを中心にバンドを結成し、2011年に現メンバーが揃ったそうですね。バンド結成、そして現メンバーが揃うまでの経緯を教えてください。

安食:僕はライヴハウスのPAを今もやっているのですが、僕がいるライヴハウスにブッチが出演していたのが出会いです。そのライヴハウスで、毎年年末に20バンドくらいが出演する、いわゆる"忘年会ライヴ"があったのですが、2008年の年末に当時3ピースだったブッチに僕を加えて"コピーやろうぜ!"ってことになり、そのときにASIAN KUNG-FU GENERATIONのコピーとブッチの曲も1曲やりました。それがなんだか評判が良く、僕自身も"あれ? これイケてんじゃね(笑)?"となり、登も"ウェルカムだよー!"って言ってくれたので、加入させてもらうことになりました!

樫村:安食さんから突然メールが届いたんです。"一緒にスタジオ入ってみない?"って。嬉しくてまずメールを保存した記憶があります(笑)。当時はお客さんとしてブッチのライヴを観に行ってたので、まさか自分がという気持ちでした。

-"Cell The Rough Butch"というバンド名にした理由を教えてください。

登:当時めちゃめちゃハマッてたLOVE ME BUTCHというマレーシアのバンドがいて、そこから"Butch"という言葉は入れたいなと。ブッチは学生のころにサークル仲間で結成したんですが、大学の目の前に僕が住んでたので、当時のメンバーを家に呼んで、バンド名会議したんですが、"餃子王国"とかふざけた名前しか出てこなくて。なんか僕も含めみんな飽きて遊びだしたから、当時のドラムが着ていたTシャツに書いてあった"Sell the rough~"でいいんじゃないかって。でもなんか突っ込まれたら嫌だから、"S"を"C"に変えたんです(笑)。その現状を考えると、質問の答えとしては"いろいろ考えたんですが、何も出てこなくて適当につけちゃいました"ですね。CDを出させてもらうなんて考えてもいなかったし、こんなにバンドが続くとも思っていなかったので。ただ、バンド名を変えたいなと思ったことはありませんね。変えようとしても、たぶん出てこないので(笑)。

-7月20日に全国流通盤としては4年ぶりとなるミニ・アルバム『ロンバートストリート』のリリース、おめでとうございます。前作『LINK』(2012年リリースのミニ・アルバム)から4年の間は、マイペースに会場限定の音源、そして今年の6月8日にTOWER RECORDS限定シングル『MOMENT』を発表されていますが、今回また全国流通作品を作ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

登:事務所で社長と今後の活動について打ち合わせしてたら、"もうそろそろいい加減CD出したら? てか出してほしい"と言われて(笑)。頭の中では"CD出したいなー"というより、作ってみたい曲があったので、このタイミングでミュージシャンになる覚悟というか、必要とされたときにちゃんと出せなきゃなと。ミュージシャンとしても、人間としてもダラダラ生きていくのが嫌だなと思ったんです。この4年間、本当にライヴしかしてこなかったし、"(乗り越える)壁は常に作っていかないとなぁ"とは思っていたので、期待に応えるというか、事務所の社長だからということでもなく、ただ人の気持ちに応えていきたいなと。ノラリクラリとしているより、常に壁があって、刺激的な人生にしたいなと。だって、乗り越えたらミュージシャンとしても、人としても成長できそうじゃないですか。

安食:単刀直入に言うと、登が"出す!"って言ったので出すことにしました(笑)。個人的にはわりと保守派なので、"今出しても売れないんじゃない?"とか、"手売りで十分じゃない?"とか考えてしまい、内心は反対でした。保守派というか、ネガティヴなんですかね(笑)? でも最終的には僕も納得できる作品になったので、出すことにしてよかったです!