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INTERVIEW

Japanese

硝子越しの暴走

2016年03月号掲載

硝子越しの暴走

Member:小嶋“チャン”麻起(Vo/Gt) 倉持 亜耶乃(Ba) 葉月(Dr)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

切れ味鋭いサウンドを武器に"もはやガールズ・バンドの域を超えている"という評判を集めてきた3ピース・バンド、硝子越しの暴走。2ndミニ・アルバムとなる『光』には、胸に迫るような性急さを残しつつも、ふと色香を漂わせたり、深淵なサウンドで惑わせたり......と、様々な表情で魅せる全5曲が並んだ。Skream!初登場となる今回は、メンバー全員へのインタビューを敢行。新たな一手を繰り出しつつも、どこか"原点回帰"のような温度を持った本作は、どのような過程を経て生まれたのだろうか。

-本誌初登場ということで、まず、みなさんが音楽や楽器を始めたキッカケを訊かせてください。

葉月:私はB'zがすごく好きなんですけど、B'zにはドラムがいないので、ドラムが上手くなったらメンバーに加えてもらえるんじゃないかと思って(笑)。

-誰かが楽器を演奏する姿に憧れるのではなく、空いてるポジションに入ろうとするなんて珍しいですね(笑)。

葉月:小学校の音楽室にドラムがあったので、それも大きいかもしれないですね。それでドラムの存在を知ってたからB'zを見たときに"ドラムの音は聴こえるのに演奏してる人がこのバンドにはいないじゃん"って思いました。

小嶋:私は中学3年のときにギターを始めましたね。受験が終わって、家にあったお父さんのアコギを触り始めたのがキッカケで。そもそも音楽を聴き始めてバンドやってみたい、ギターを弾いてみたいと思うようになったキッカケはBUMP OF CHICKENで。彼らのMVでアコギを使ってる曲を見て"これだったら私でもできるな"と思って、耳でその音を探しながら弾いてみたりしてました。

-歌うようになったのはいつからですか?

小嶋:ギターを弾き始めた当初から、弾きながら歌いたいという気持ちがありましたね。BUMPのヴォーカルの藤原(基央)さんがギターを弾きながら歌ってるのを見ていいなって思ったし、昔お父さんとよく一緒にフォーク・シンガーを見ていたので、ギターを弾きながら歌うということが当たり前だと思っていたというか。

倉持:私は中学3年のときに友達からバンドに誘われたんですが、そもそも"バンドって何だろう"っていうところから始まって。そこで友達と一緒に高校の文化祭に遊びに行って、バンドのライヴを観て"カッコいいなあ。やってみようかな"って思って始めることになりました。

-"硝子越しの暴走"というバンド名は9mm Parabellum Bulletの企画ライヴのタイトルと同じですが、そこからとったのでしょうか?

小嶋:そうですね。高校生のころメンバーみんなで9mmにハマっていて。"硝子越しの暴走"という字面が衝撃的にカッコいいなと思ったので、そこからいただきました。

-憧れのミュージシャンの曲名からバンド名をつけるという話はよく耳にしますが、ライヴのタイトルから取るなんてコアですよね。バンドのルーツは、9mmのようなエッジの効いた邦楽ロックが占める部分が大きいのでしょうか?

小嶋:特にライヴ・パフォーマンスでは9mmから受けた影響が大きいと思ってます。あれだけ身体全体で音楽を表現してもちゃんと曲を聴かせられるようなライヴができるんだ、音楽として成り立たせることができるんだ、っていうところに衝撃を受けたので。それが私たちにとっての"カッコいい"の根本になっていったのかなって思います。

-この3人はどういう経緯で集まったのでしょうか?

葉月:もともと私たち(葉月と小嶋)が高校でコピー・バンドを組んでて、そこから卒業後も続けることになって。だけど他のメンバーが抜けたときにベースもいなくなってしまったので、(小嶋が通ってた)専門学校の同級生だったこの子(倉持)を連れてきてサポートで入ってもらって。当時はもうひとりギターもいたんですけど、その子が辞めるときに倉持が正式加入して今の体制になりました。

小嶋:そのギターの子が辞めた時期は、"バンドしかない"っていう感じではなかったというか、一本道しか見えてなかったというわけではなかったんです。でもこの1年半ぐらいで、"もっとバンドに重きを置いて生活をしよう"っていうふうになりましたね。そこからバンド主体の生活作りをしていって。

-1年半前に意識が変わったのはなぜですか?

葉月:"やるならやる、やらないならやらない"っていう選択をそろそろしなくちゃいけないと思って、1回バンドで話し合いをしたんですよ。で、それまでは私が1番"バンドで食っていきたいんだ"っていう気持ちが強いのかなと思ってたんですけど、ふたりに聞いてみたら麻起(小嶋)は"Mステ(ミュージックステーション)に出るのが夢だ"って言って、この子(倉持)は"武道館のステージに立つのが夢だ"って......ふたりの方が私よりずっと大きな夢を持ってたんですよね(笑)。描いてるヴィジョンがそれだけ具体的で、大きな野望があるんなら、"じゃあもっと本気で頑張ろうか"って。

-それまではお互いが思っていることを共有する機会があまりなかったのでしょうか?

葉月:そういう熱い話も他のバンドよりはしてたと思うんですけど、具体的な行動には繋げられてなかったですね。それまでは"売れたい"と言ってもそれに対するアクションを起こすわけでもなく、周りからは"本当に売れたいの?"と思われるような活動をしていたのかな、と今では思います。

-その話し合いでメンバーの意思統一があって、そのあと変化していった部分はありましたか?

小嶋:"全然知らない人にも私たちの音楽が本当に届いてるんだ"って実感することが増えましたね。そういう意味でCDの全国流通はやっぱり大きかった。特に渋谷のTOWER RECORDSはよく通っていた場所でもあったので、そこで試聴機展開されているのを見たときは感動しました。あと、全国ツアーでいろんな地方に行くようにもなって、CDショップがあまりない地域の人たちでも、ネットでCDを購入して聴いてくれたりしてたので、反響があって。それが嬉しかったし、驚きもありました。何かピリッとしますよね。