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INTERVIEW

Japanese

バスクのスポーツ

2016年01月号掲載

バスクのスポーツ

Member:能美 亮(Syn) 磯部 蒼(Ba)

Interviewer:山元 翔一

バスク地方のスポーツの勢いをテーマに、プログレッシヴさを取り入れた楽曲を制作......おそらく、すでに読者の頭にはクエスチョン・マークが浮かんでいるだろうが、それでいいのだ。本稿の主人公となる"バスクのスポーツ"は、武蔵野美術大学で結成された4人組のインストゥルメンタル・バンド。幼少期にクラシック音楽やプログレッシヴ・ロックの洗礼を受けた能美亮と3人の同志による生粋のアート集団である。そんな4人の若き芸術家による初の全国流通盤『運動と食卓』が到着した。今作は、プログレをルーツにしながらも不思議なキャッチーさのあるサウンドが魅力。そのサウンドを始め、バンドのルーツや精神性について能美と磯部のふたりに話を訊いた。

-まず基本的なことからうかがっていきたいのですが、バスクのスポーツの結成の経緯について教えてください。

能美:大学1年生のころにドラムの石川と出会って、サークル内でバンドをやっててお互いピンと来て。面白いことやろうってところからスタートしました。最初はふたりで実験的なことをやってて、ドラム2台入れたりキーボード入れたりいろいろ試行錯誤していて。そのときはアナログ・シンセで出したグニョグニョしたノイズに合わせてドラムを叩いているような感じで、探り探りで音の面白さを求めてやっていました。それで、サークルに後輩として入ってきたベースの磯部とギターの神谷が加入して今の形に落ち着きました。

磯部:今の4人になってから"バスクのスポーツ"として活動するようになりましたね。彼がMS-20っていうKORGのアナログ・シンセを持っていて、それに対する物珍しさもあって。それを使ってバンドやりたいっていうきっかけもありました。

-おふたりの音楽的なバックボーンはどういったところになるのでしょうか? 音源を聴いただけだとなかなか見えてこないなと思ったんですが。

能美:僕は70年代のプログレッシヴ・ロックをがっつり聴いてて、それ以外も好き嫌いはなく、ミクスチャーやハード・ロックも聴いてきました。ギャルゲーとかエロゲーにのめりんでいた時期があって、そのBGMやゲーム音楽からの影響もありますね(笑)。

磯部:僕は全然プログレとかは聴いてなくて。青春時代はNUMBER GIRLとかbloodthirsty butchers、PIXIESとか聴いてたんですけど、大学に入ってAPHEX TWINみたいな電子音楽とかノイズにはまって。それは周りの友達がおしゃれなものばかり聴いていた影響であったり、大学が芸術大学だったので現代音楽やメディアアートの教授についていたのでその仲間の影響もありますね。今はヒップホップにハマっていますね。本当にヒップホップしか聴いてないですね。

-なるほど。他のメンバーの方も気になるところなのですが、わかる範囲で教えてください。

磯部:ギターの神谷は僕と結構似ていて、さらにハードコアとかドゥームとかそのあたりまで聴いてて。プログレはそこまで聴き込んでいなかったと思いますね。

能美:ドラムの石川は、いわゆるロキノン系もハマっていたらしいですけどTAHITI 80とかPASSION PIT、ANIMAL COLLECTIVE、あとはOGRE YOU ASSHOLEとか。

-能美さんと石川さんがお互いピンと来たことがバスクのスポーツの原点とのことですが、惹かれあったポイントはどこだったのでしょう?

能美:最初女の子がふたりいて、その子たちにコピー・バンドをやりたいって言って誘われてギターとドラムで参加したんですよ。僕は当時ギターだったんですけど、石川のドラムがいい味出てるなと思って、話していくうちに面白い音楽聴いていることがわかって。それがあってふたりでやり始めようと思いましたね。

-では、音楽の原体験や楽器を始めたきっかけについて教えてください。

能美:僕は小学生のときに近所のお姉さんがやっているような教室でピアノを習っていて。その動機っていうのも、男でピアノ弾けたらかっこいいかなってぐらいの不純なもので。普通にバイエルから始めたんですけど、その教室がある程度の基礎が終わったら好きな曲をやらせてくれるようなところだったんですね。曲を持っていくと技量に合わせて楽譜を起こしてくれたので、ギャルゲーのBGMを楽譜に起こしてもらって弾いたり。あとはクラシックは単純にもともと好きだったので、モーツァルトとかバッハは自分で楽譜買って弾いていました。だから和音の構成とか、三拍子の組み方は完全にバッハからの影響です。あとは中学のときに長渕剛に激ハマりしてアコギを手にして、そこからはずっとギターをやってましたね。

磯部:僕は高3のときに友達とバンドをやろうってことでベースを買って、バンドをやることなく......(笑)。ひとりでBUMP OF CHICKENと東京事変、ONE OK ROCKをコピーしていました。なのでちゃんとバンドとしてベースを弾いたのが、バスクのスポーツが初めてに近いですね。

-音楽を意識的に聴き始めたタイミングは?

能美:母親がすごくレコードが好きで、家にもともとレコードやレーザーディスクもあったんですよね。小さいころは意識はしてないんでしょうけどずっと家にあったレコードを聴いてて、プログレとかはあまりなかったんですけどEMERSON, LAKE & PALMERの『Pictures At An Exhibition(邦題:展覧会の絵)』とYESの『Fragile(邦題:こわれもの)』のレコードだけあったんですよ。『展覧会の絵』に「The Sage」っていうアコギの弾き語りの曲があって、それがすごく心地良くて。アコギ買ったときは最初にこの曲をやりましたね。

磯部:意識的にということになるとORANGE RANGEが流行った小学生のときですね。いっぱいCDを借りてクラスで1番音楽聴いて、詳しくなりたいっていう気持ちはありました(笑)。父が好きで聴いていたEric Claptonと、森山直太朗とBUMP OF CHICKENが最初にハマった音楽ですね。

-みなさん武蔵野美術大学の出身ということですが、大学ではどういったことを学ばれましたか?

磯部:ギターの神谷も一緒なんですけど、僕は映像学科のメディアアート専攻で。電子工作とか映像表現とかを勉強するゼミにいましたね。

能美:僕は工芸を勉強して、吹きガラスっていうガラス工芸を今もやっています。バンドと並行してガラス職人としても活動していて......ちょうど熱海でやってた職人修行から帰ってきたばかりで。修行期間中はライヴの出演時間を遅くしてもらって、出演して始発で帰るっていう地獄の1年間でしたね(笑)。1年間住み込みで修行していて、バイトって嘘ついてライヴに行ってバレないように朝帰ってくるっていう(笑)。