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INTERVIEW

Japanese

グッドモーニングアメリカ

グッドモーニングアメリカ

Member:渡邊 幸一(Gt/Cho) 金廣 真悟(Vo/Gt) たなしん(Ba/Cho) ペギ(Dr/Cho)

Interviewer:荒金 良介

-そして、2006年にバンドはライヴ活動休止状態に入ります。これを言い出したのは?

金廣:当時のドラムですね。しかもfor better, for worseで日本語の曲を録ったのに、レーベルに"リリースしません!"と言いましたからね。

渡邊:自分たちで録ったくせに出せませんと(笑)。今考えたら、むちゃくちゃな話ですよ。

-それはなぜですか?

金廣:納得いかなかったからですね。

渡邊:自分たちでピンと来なかったんでしょうね。今聴くと、すげえいいところもあるんですよ。でも当時は英語から日本語に変えて、一発目からいいものができると思ったし、自分たちの期待値も高かったんじゃないかな。実力はないのに、理想だけは上がってました。

金廣:それでドラムが活動を休止しましょうと。

-活動休止中は何をしていたんですか?

金廣:バイトしてました。あっ、その時期に弾き語りをやり始めました。

たなしん:俺はベースのレッスンに3年間ぐらい通ってました。

金廣:行ってたねえ。(渡邊)幸ちゃんもレッスンに行ってたよね?

渡邊:半年ぐらい行ったかな。バンドとしては月1回はスタジオに入ってましたね。

金廣:そんなにやってた?

たなしん:うん、結構通ったもん。

渡邊:最初はTHE BEATLESやMr.Childrenのカバーをやって、初心に返ろうと。

たなしん:金廣もちょいちょい曲を作って、1年ぐらい過ぎたかなあ。

渡邊:じゃあ、そろそろやろうかって。俺の家で月1ぐらいで集まって、音源を出す準備をしてました。

-今振り返ると、その期間は重要だったと思います?

渡邊:結局2年ぐらい活動を休止してましたからね。

金廣:そのとき活動していたらまた違うのかなと思うけど。当時の経験があるから今のような歌詞が書けると思うし、何かしら影響はあると思います。

-当時は英語から日本語にガラッとシフトするバンドも少なかったし、相当勇気が必要だったと思います。バンド名を改名するのは一大決心ではなかったですか?

渡邊:活動を休止して、日本語をやると決めたときに、バンド名を変えたいと思ってましたからね。逆にガラッと変えたいからこそ、活動を休止したんですよ。同じバンド名のまま、英語と日本語を半分ずつやるようなライヴはやりたくなかったんです。

たなしん:まあ、謎の不安はありましたけどね。

渡邊:謎にね(笑)。

-ちなみに、"グッドモーニングアメリカ"という名前は誰がつけたんですか?

渡邊:今、HUSKING BEEでベースを弾いてる岸野一が八王子のひとつ下の後輩で、遊び半分で"ザ・グッドモーニングアメリカ"というバンドをやろうと思ってると言われて、"それいいね!と答えたんですよ。それで、"さっきのバンド名、もらってもいい?"って岸野に電話して。

金廣:ただ、条件として"ザ"をつけて欲しいと言われて。要するにTHE GET UP KIDSみたいなイメージですよね。でも即効で"ザ"は取りました(笑)。

-はははは。

金廣:for better, for worseのスペルも間違えられやすかったし、最初からパンチのある覚えやすいバンド名にしようと。

-最初にバンド名を聞いたときは、ビックリしましたけどね。

渡邊:以前から知ってる人は、えっ!となりますよね(笑)。

-それから2008年にペギさんが新ドラマーとして加入します。

ペギ:もともと知り合いで、前のバンドで対バンしていたので、初めましてという感じではなかったです。(渡邊)幸一さんとは仲が良くて、久しぶりに下北沢ERAで会う機会があったんですよ。俺は当時"テキーラ"というバンドをやっていたんですけど。