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INTERVIEW

Japanese

アルカラ

2015年10月号掲載

アルカラ

Member:稲村 太佑(Vo/Gt) 田原 和憲(Gt) 下上 貴弘(Ba) 疋田 武史(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり

-ちょっと違いますかね(笑)。でもアルバムのラストにきてすごく美しいメロディが際立った曲ですし、さっきから言ってるような哀愁感はもちろん、グラマラスな香りもする、すごくいい曲です。すごく歌っている、曲だと思いますよ。

稲村:1~7曲目までがややこしすぎるので、これを最後に聴くとすっごく気持ちいいんですよ。当時レコーディングしている時期に、思わず鼻歌とかで歌ってしまったりするんですけど、そのときに1番口ずさんでいたのがこの曲なんですよね。身体と合っていたというか。街で歩いているときは、ようこの曲が頭に流れてましたね(笑)。

-この歌にはどんな思いを込めたんですか。

稲村:なぜか変に使命感を帯びていたんですよね。僕、歴史が好きなんですけど、歴史の本って悪い人もいいように書かれていたりするんです。何百年前の大量虐殺にしても、それがひとつの物語になっているというか。そういう歴史って、なんかきれいなものやなって思う気持ちがあるんですね。"オーケストラは眠る"っていうタイトルにしたのは、今回のアルバムには"中世"という言葉が出てきたり、Track.5「迷宮レストラン」で「パッヘルベルのカノン」を使ったりとかクラシカルな部分があるんですけど、クラシカルなものが作ってきたものっていうイメージがなんとなくあったんです。音楽室の壁に掛かってるような、毛がモジャモジャの偉人を勝手にイメージして、どういう思いで曲を作ったんやろとか考えるんですけど。そういう人たちは逆に、あの世という場所で集まって楽しく今を見守ってるんやろうなって想像すると、面白いなと思って。その人らからしたら今は、当時から300~400年経っているので、そう考えると、実際音楽家としてやれる人生って短いものやなと。なんか、この曲が1番詩的ですよね。全部バカみたいなことを書いてるので、最後に詩的なことをやってもいいんじゃないかと(笑)。

-当時オーケストラのような曲を書いていた作曲家たちが、アルカラという音楽をどう聴くんでしょうね(笑)。

稲村:どう聴くんでしょうねえ。でも大変やったと思いますよ。当時の人は、基本作曲家として活動しているんじゃなく、宮廷貴族の演奏家であり、音楽を生業としながら、曲を作って。ピアノとかバイオリンとかしかなくて、アンプとかがない時代やったので、研ぎ澄まされてたんやろうなと。目が見えなくなりながらもやった人もいましたし、ベートーベンは耳が聞こえなかったと思うとすごい精神力だし。意地もあるだろうし。あとは恋愛ものの曲も多いんですよね、好きな人がいたり、失恋があったりとか。それが言葉のないメロディで表現されていくというのは、すごい時代やなと思ってて。未だにそういう曲が聴かれていて、200年も経ったら著作権もないから、テレビでやりたい放題に使われていることをどう思うんかなと考えたり。もしかしたら、楽譜だって間違えて書いてるかもしれないですしね。"いや、ここはもっとこうしたかった"みたいに思ってるんかなと考えると、面白いなって。そういうことを自分でも思えるなら、もっと先を見ながら音楽をできるんかなと思うところがあったり。自分に置き換えるのはまだ早いですけどね。でも自分もそう思いながら、メロディを作っていけたらというのは思いますね。

-オーケストラのような荘厳な曲を書いている人たちも、音のきっかけとしてはきっと感情を揺り動かされて、突き動かされて書いてると思うんですね。戸川さんにしてもそうですが、すごく人間を映した音楽をやってる。ここにきて、そういったものたちが出会っているというのは、求めていたからなんですかね。

稲村:求めていたんだと思いますね。10代でBUCK-TICKに出会ってしまって、このバンドがしたいことやりまくってるというか、感覚的で研ぎ澄まされた音楽なんですよね。もちろん歌詞も好きなんですけど、未だに何回聴いても新しく聴こえるんですよ。戸川さんにしてもそうですけど、そういうふうに衝動的に音楽を作っていく感覚に、自分も身を置きたい気持ちはありましたね。面白いんですよね、そういうバンドって。昔はそういう人が多かったですよね。

-たしかに。

稲村:連れに、聖飢魔Ⅱのデーモン閣下のマネージャーになったやつがいるんですけど(笑)。聖飢魔Ⅱは未だに「蝋人形の館」をやるんですよ。ああいうのをやり続けられるのがかっこいいというか。これがかっこいいとか、これが自分だと思える何かがあって、それがブレてないというかね。まあ、閣下がブレるわけがないですけどね(笑)。前作くらいから思ってたんですけど、自分らしさって何やろうとか考えても結局出てこないから。衝動に任せて、作っていけるようになればいいんじゃないかって――まだそれを思いながらやってる段階ですけどね。

-ということでは、アルカラらしさってこれかなと考えていた時期もあったんですか。

稲村:アルカラらしさは、考えても無駄やなと思ってますね。僕の母が"人間って他人がいないと自分がわからない"って言ってて、すごくいい言葉だなと思ったんです。まあ、母は今ひとり暮らしなんで、何言っとんのやって思いましたけど(笑)。"だってあなたね、顔にごみついてたりするでしょ、それを誰が気づいてくれるの?"って。"誰かが見てくれて、ここ汚いよとか、あんた変な顔してるよって言うから、今自分は変な顔やねんでっていうことがわかるでしょ"って。自分らしさ、自分たちらしさは未だにわからないし、わからないままやと思うんです。でも、自分が好きだと思うことをやれば滲み出てくるものだと思うので。それでいいのかなっていう感覚ですね。