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INTERVIEW

Japanese

Seagull Screaming Kiss Her Kiss Her

2015年09月号掲載

Seagull Screaming Kiss Her Kiss Her

Member:日暮 愛葉(Vo/Gt)

Interviewer:山口 智男

2002年に活動休止するまで10年間にわたって、世界を股にかけた活動を行っていたオルタナティヴ・ロック・バンド、Seagull Screaming Kiss Her Kiss Herが12年ぶりに復活。日本を代表するオルタナ・クイーン、日暮愛葉の下、ベーシストとしてのみならず、共同プロデューサーとして日暮を支える中尾憲太郎を始め、ロック・シーンの最前線で活躍しているメンバーが集結。15年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ETERNAL ADOLESCENCE』を完成させた。ファンからのラヴコールに応え、ついに封印を解いた日暮が今回の復活に込めた想いを語る。

-新生Seagull Screaming Kiss Her Kiss Her(以下:Seagull)として、ライヴ活動も行っているそうですが、お客さんの反応も含め、かなり手応えを感じているのではないでしょうか?

待っていてくれたんだなっていうのはすごく感じましたね。去年の5月5日に渋谷のWWWでやったワンマンのときは、本当にたくさんのお客さんにあたたかく迎えられたので、すでに感無量で(笑)。自分の小さな約束として、昔の曲はやらない――ひとつバンドを止めたり、休止したりしたら、そのバンドの曲はそのバンドの曲として取っておいて、新しいバンドではやらないと決めてきたんですけど、今回、憲太郎(中尾 憲太郎/Ba/Cho)に口説き落とされて、(昔の曲を)やるのもいいもんだなって。みんなやっぱり聴きたかったんだって実感しました。私がファンだったらやっぱり聴きたいよなって(笑)。今回、憲太郎が選んだ優れたメンバーの支えによって、いろいろなことができているんですけど、なぜ私も含めメンバーが6人もいるのかって言うと、Seagullってそもそもシンセが入ってたり、ストリングスが入ってたり、効果音が入ってたり、ギターも1本だけじゃなかったりして、それを再現するためにはキーボードの蓮尾理之(385, bonanzas, ジェッジジョンソン)、ギターの一ノ瀬雄太(快速東京)や、コーラスも私、すごい重ねるからmoeちゃん(Miila and the Geeks, Twee Grrrls Club)が必要だからで、バンドの形は新しいけど、できるだけこれまでリリースしてきた音源を再現したかったからなんですよ。後追いでSeagullを聴いてる人って音源だけしか聴いたことなくて、ライヴを観たことがないと思うんですよ。そこに憲太郎も私も結構こだわりがあって、特に憲太郎が"できるだけ再現したいですよね"って。だから、キーボードが本当に1音しか入ってない曲もあるんですけど、それでも楽しくやってもらうっていう(笑)。

-じゃあ、最近のお客さんっていうのは、昔からのファンもいるし......。

(Seagullのことは)知ってたけど、初めて観たっていう人もいるし、今回初めて知ったっていう人もいるし。だから、私と同い年ぐらいの人から10代まで、お客さんは結構幅広いです。

-後追いのファンがいるっていうのはご存知でした?

はい。ものすごく言われるんですよ。Seagullをやめたあとも音楽は続けていたので、"Seagullが大好きなんです。でも観たことがなくて"とか、"噂を聞いて、CDを買ったらよかった"とか。そういふうに言われると、やっぱり嬉しいですよね。Seagullは10年活動してましたから。

-ただ、日暮さんとしては、昔の曲をやらないと決めた以上、Seagullを再びやるつもりはなかった、と?

一切なかったです。だから、憲太郎から"ソロの「Silly Girl」とかSeagullの曲とかやらないんですか?"って一昨年、突然言われてから、だいぶ待たせました。ピンと来なかったんですよ。だから"えぇ!? やらないよ"って。でも、憲太郎に会うたび言われて、そのうち今やらないとSeagullを知ってる人たちがいなくなっちゃうなって気がしてきて、面白いタイミングかもしれないって思ったんですよ。(女性3人組の)THE GIRLもベース(林束紗)が抜けて、ドラムのなおちゃん(おかもとなおこ)と2人でツアーを回って、それはそれで楽しかったんですけど、ただ、憲太郎には"愛葉さんをもっと盛り上げたい"みたいな気持ちがあったみたいで......ってそんなことを言うと、恥ずかしがるかもしれないけど、そういうふうに思ってくれてたみたいで、盛んに"やりましょうよ"って。

-やってもいいと思える直接的なきっかけがあったんですか。それとも徐々に気持ちが傾いていったんですか?

憲太郎に話をもらってから、ソロのライヴが2回あって、そのときはたまたま仲良くなったtoldの(有島)コレスケ君にドラムとベースの両方をやってもらったんですけど、彼もSeagullが大好きで、"Seagullの曲、ちょっとやってみようかな"って言ったら、"ぜひ、やりましょうよ"って言ってくれたんで、リハビリみたいなつもりでやってみたら覚えてたんですよ。もちろん、忘れてる曲もありましたけど、Seagullはバカみたいにライヴをやってたせいか、ほとんど覚えてて。あ、こんなに簡単に弾けるんだ。表現もしやすいし、いいかもしれないって、それがきっかけで心がほぐれていったところはあります。刺激もあったし、懐かしさもあったし、やっぱりSeagullは自分でも好きだし、最初にやったバンドだから思い入れもすごいあるし。濃厚な10年間だったんで。

-そうか。初めてやったバンドだったんですね。Seagullってそもそもはどんなふうに始まったんですか?

イギリス留学から日本に帰ってきて、音楽をやりたいなと思ったんですよ。そのとき、付き合っていた人がバンドをやっていて、デモを聴かせてくれたんですけど、こんなんだったら私でもできると思って(笑)。。私のほうがもっとかっこいいの作れるって、こんなことを言ったらその人に悪いし、超ビッチだと思われるかもしれないけど(笑)、4チャンネルMTRを買って、中学2年のとき、3日で飽きた、1万9,800円で買ったTOKAIのTALBOを実家の地下から出してきて、MTRをわからないなりにもいじりながら、人の助けも借りてデモを作ったんですよ。そしたらそれがカジ(ヒデキ)君とか(当時、エスカレーターレコーズを主宰していた)仲(真史)君とか当時の渋谷系の人たちに友達を介して渡っていきなりリリースが決まったんですよ。もちろんインディーズでしたけどね。ただ、そのときの相方の女の子がドイツに留学したいからやめるって言いだして、当時はまだキャンディ・ポップというか、ブリット・ポップというか、女の子ふたりでかわいらしいのをやってたんですけど、私もちょうどSONIC YOUTHを好きになり始めていたから、私も留学しようってニューヨークに2年ぐらい行って、それから新しい――Seagullがトラットリア(※小山田圭吾主宰レーベル)と契約したときのメンバーを見つけて、本腰を入れ始めたのはそのころからでしたね。