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INTERVIEW

Japanese

女王蜂

2015年04月号掲載

女王蜂

Member:アヴちゃん (Vo)

Interviewer:天野 史彬

-"聴いた人が鏡のように使える音楽"という点に関して言うと、今までも、女王蜂はエンターテイメントであることは重要視してきていたと思うんですよ。でも、今までとこのアルバムでは、意識の在り方は違っていますか?

今まではエンタメになろうと頑張っていたんですよね。でもある日、エンタメは無理やと思ったんです。さっきも言ったように、私は普段、制御して、希釈して生きているんです。でも今回は、薄める云々じゃなくて、音楽として落とし込めることの喜びを感じたというか。そしたら、エンタメを諦めることでエンタメができたんですよね。それこそドラマのタイアップで「ヴィーナス」を書いたときも、ケラさん(※「ヴィーナス」が主題歌に使用されたドラマ"怪奇恋愛作戦"の監督、ケラリーノ・サンドロヴィッチ)とケーキ食べながら打ち合わせして、"じゃあ、作ってきま~す"って言ったんですけど、最初に作ったやつはディレクターに"いいけど、もうひと化けした曲が欲しい"って言われて。そのとき洋楽のCDをいっぱい渡されたので、"英語の曲作れってことかなー"って思って、実家でピアノ弾いてたらさらっと「ヴィーナス」ができたんです。"ヴィーナス"って英語やからいいよねって(笑)。それで出したら一発OKが出て。それも、エンタメを諦めることでエンタメになったっていうことですよね。それこそ篠崎愛ちゃんとかセーラームーンの火野レイちゃんのことも、自分の中で拘束具をつける行為だと思ってたけど(※アヴちゃんは、アイドル 篠崎愛のソロ・デビュー曲や、"美少女戦士セーラームーン"のキャラクター・ソング・アルバムに楽曲提供をしている)、思いの外そんなものじゃない、大きなものを書く喜びがありましたね。

-なるほど。タイアップや他者への曲提供も、自分を制御するんじゃなくて、自分を曝け出すことで逆にエンターテイメントとして作ることができたんですね。このアルバムもその要素がある、と。

"曝け出す"かぁ......。

-あ~、曝け出すは違うか。言い方難しいな。

ですよね。自分のことを言えば言うほど、人を煙に巻けるというか。私って、すごく人間っぽいんだけど、人間って信じてもらえないから(笑)。"男なの? 女なの?"とか、"どっちでもないよね"とか言われるけど、そこももうわからないし。自分がどうやって曲を作っているかというと、頭の中で作ってるから、それをそのまま他の人の頭のUSBに入れたらショートさせる自信があるし。だから女王蜂っていうフィルターを通している時点で、人様に聴かせる形態にはなっているというか、ライヴでノッたり、感動して涙が出るレベルに私はすることができる。でも逆に、ソロで出すってなったら売り物にしちゃダメなものができると思うから(笑)、女王蜂っていうバンドがあってよかったなって思う。ギリギリで自分に勝ったアルバムっていうか。

-あと今回のアルバムって、アヴちゃんの声ひとつ取っても、その意味合いが今までと変わった気がしたんですよ。男性のような声と女性のような声、その2種類がアヴちゃんの中から出てくること、それが対局性とか両極性を指し示すものとしてよりも、多様性を表すものとして、このアルバムでは響いているなって思って。

そう! めっちゃ嬉しい~。何も前情報なく女王蜂を知らない人に音源をパッと渡して、"これ、ひとりの人の声なんですよ"って言ったら驚くじゃないですか。でも女王蜂を知っている人はもうそこに驚かなくなって、ライヴに来てくれたりするでしょ? もう、いろいろ飛び越えてるんですよね。自分が見ている景色と人が見ている景色は違うんだなってよくわかったし、みんな違うんだなって思って、楽になりました。ここまでのアルバムは、"どこまでみなさんと同じ景色を見れるか?"っていうことに対する挑戦だったし、同時に、自分の描いている景色にグワッ~と巻き込んで見せるような音楽を作ろうとしていたと思うんですけど、このアルバムは多様性も誘発するし、最後に落ちてくるところは、すごく美しい景色だし、1番見て欲しい画で。そういうところも、ちゃんとアート・キュレーションできたって感じかな。

-"同一化できない"、"みんな違う"っていうのが、このアルバムでアヴちゃんが提示するひとつのポイントだっていうことなんですけど、そもそも女王蜂って、"人はそれぞれ違うんだ"ということをずっと音楽にし続けてきている気がするんですよ。男女の違いを始めとして人にはいろんな表面的な違いがあるけど、でも本質的に人間って誰も彼もが違うし、みんな他人同士だし、だから孤独だし傷つけ合うし求め合うんだって、そういうことを伝えている気がして。このアルバムは、それをすごくストレートに言っているアルバムなのかなって思うんです。

うんうんうん......みんなね、世話焼きなんですよ(笑)。みんな誰かのお世話をしたいんですよね。誰かのお世話をしてないと寂しかったり持て余しちゃったりするから、隣のおうちの芝を見て"まぁ! 青いわ!"って言ってるんだけど、"お前も、たいがい青いからな"って(笑)。そういう気持ちもありますけど、女王蜂は、そこが無頓着なバンドというか。独立国家なんじゃないですかね(笑)。音楽性も、バンドと言ってもいろんなことをやってるし、ロックとかロックじゃないとか、カテゴライズもどうでもいいし。......やっぱり面白い演奏を美しい人たちがやってるバンドだと思うし、わざわざ畑を設けなくても、ただ面白くて、ただいい曲を出せたらなっていうだけなんですけどね。"男と女とか関係ないじゃん!"っていう人も多いと思うし、女王蜂のことをそれぞれがどう捉えてくれているのかはわからないけど、その人なりに咀嚼してくれるタームとして受け取ってくれて、そこに性別云々が絡んできて......1回1回のアクションがディベートになってるんだなって思うと、"なんてみなさん、時間がかかる素晴らしい儀式をしてくれてるんだろう!"って申し訳なくなりますけどね(笑)。でも、それもエンタメを諦めたからできるんだと思います。エンタメにしようと思ったら、その部分もサーカスにしたりプロレスにしないといけないけど、それはできないから。する必要なんてないし。

-うん、うん。今回の曲たちって、Track.1の「一騎討ち」から最後の「緊急事態」まで、基本的には"1対1"の関係性が歌われていると思うんですよ。それは"恋愛"がテーマになってきたからなんですかね?

あぁ......例えば、今こうやって1対1でお話してるけど、周りにはスタッフなんかもいるじゃないですか。ゲーセンでやる格ゲーなんかもそうですけど、1対1でやってるけど、実際には周りに人がいる、みたいな(笑)。それに近い感じ......"1対全"みたいな、そういう感じなんですよね。"男と女"っていう形で曲を書くと必然的にそうなりますし、ライヴもそうですよね。私たちがいて、お客さんがいる。その2つの他に登場させると不毛というか......3人目をやりだすと、3人も4人も5人も一緒っていう感じがあるんですよね。だから、結果としての"1対1"なのかもしれない。

-なるほど。あと今回、最後の2曲――「始発」と「緊急事態」は、すごく力強く"生きる"ことの宣誓をしていますよね。こういうポジティヴな形での終わらせ方は、意識してのことだったんですか?

でも、ポジティヴっていう感じでもないんですよね。結局、生きるしかない......その諦めというか。死んでないなら生きるしかないし、いつ死ぬかわかんないし......みんな生きることに理由を求めたりするけど、"死んでないから生きているんだよ"くらいの感じなんですよ、私は。「始発」の歌詞の"プラットフォームが誘っている 飛び込んで来いと嘲笑っている/愛されるのには疲れたろと まして愛すなんてやめておけと"なんて、スタッフからはショッキングだなんて言われたし、自殺の歌って捉えられるのかもしれないけど、それも"えぇ~?"って感じ。そもそも言葉って、ショッキングな言葉とショッキングじゃない言葉があるんだなって初めて思いましたもん。私の中では、言葉と行動が伴って初めてショッキングなんですよね。何かが合致しないとショッキングとか素敵だとは思わないから。例えば口先だとか文章だけで素敵なことを言われても、信じない。でも、その人がお会いして素敵な人だったり、関係性が築けてたり、言葉と何かが一緒になっていたら信じる。だからめっちゃ好きって思うものは、言葉とメロディが合致しているものなんですよね。