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INTERVIEW

Japanese

LACCO TOWER

2014年07月号掲載

LACCO TOWER

メンバー:松川 ケイスケ(Vo) 細川 大介(Gt) 塩﨑 啓示(Ba) 真一ジェット(Key)

インタビュアー:山口 智男

狂想演奏家を名乗ってきた5人組が4作目のアルバムを、改めて『狂想演奏家』と名づけたのには大きな意味がある。ピアノをフィーチャーしながら、激情を迸らせるロック・サウンドと昭和歌謡を思わせるノスタルジックなメロディと日本語にこだわった歌詞だけが彼らの魅力ではない。自ら立ち上げたレーベルから初めてリリースするフル・アルバムは、これがLACCO TOWERのサウンドだと胸を張って言えるだけではなく、数々の新境地に挑むことで、さらなる進化もアピールする最高傑作となった。"渾身の1枚"と語る『狂想演奏家』の魅力をメンバーとともに探る。

-新作の『狂想演奏家』は"狂想"と銘打っているとおり1つのジャンルに括れない個性的なサウンドが印象的でした。ただ、個性的ではあるんですけど、折衷という意味では、ひょっとしたらこういうサウンドこそが日本のロックの正統なんじゃないかとも思いました。

松川:何かかっこいいことをやりたいということだけが、みんなの頭の中にぼやっとあっただけで、元々、パンク・ロックやろうとか、スカ・バンドをやろうとかみたいに何か1つのジャンルを目指して、メンバーが集まったバンドではないんですよ。大介以外は、みんなつきあいも古いんです。10代の頃からのつきあいで、みんないろいろなバンドを経て、最終的に実家に帰ってきたみたいな感じで、この5人に落ち着いたんです(笑)。"これがLACCO TOWERだよね"って僕らの中で言えるようになってきたのは、本当に、ここ2、3年ぐらいで、今のメンバーになってからはそれがより色濃くなってきたと思います。もちろん、洋楽もかっこいいと思うんですけど、ああいうふうにはできないし、やりたいとも思わない。でも"LACCO TOWERって何?って聞かれたらやっぱり、ロックですって答えると思うんですよ。そういう意味で、日本のロックの正統と表現していただいたのは、僕ら的にもすごくしっくりきましたね。

-元々、メンバーはどんなふうに知り合ったんですか?

塩﨑:元々は、今日は来てないですけど、ドラムの重田雅俊と初代ギターと僕が幼馴染で、真一ジェットも隣の小学校だったんです。それで、みんなで上京しようぜって同世代の音楽仲間が行った学校で、神戸から来た松川と知り合って、その後、2、3個あったバンドがまとまって。その後、ギターが変わったりもしたんですけど、去年から大介が正式メンバーとして入りました。それが6月15日だから、このメンバーになってからまだ1年経ってないんですよ(取材日は6月11日)。

-じゃあ、友達が集まって、そこで何ができるかというところから始まったバンドなんですね?

松川:そうですね。最初にやっていた音楽と今とでは全然違いますしね。LACCO TOWERを始めて10年ちょっとになるんですけど、本当にバンドをやりながら作ってきたみたいな感じですね。

真一:変に1つのジャンルに特化した奴がいないんです。

細川:ただ、みんな根本にはメロディがあるというか、それが1番大事だと考えているメンバーが集まっているんです。だから、けっこういろいろなことをやっているんですけど、実は1番、重きを置いているのは、それこそギターと歌だけでも成立する、いい歌なんです。

-細川さんが1番、このバンドのことを客観的に見られる立場だと思うんですけど、最初、LACCO TOWERを見た時はどんな印象でしたか?

細川:実は昔、当時僕がやっていたバンドで1回、対バンしているんですよ。でも、お互い全然覚えていない(笑)。その後、真一ジェットとサポートの現場で一緒になったことがあって、でも、そこから連絡を取り合ったわけじゃないんですけど、共通の知り合いから"LACCO TOWERってバンドがいて、ギターが辞めちゃうんだけど、1回、サポートでやってみないか?"と連絡をもらって、そこで聴かせてもらった曲がすごくかっこよかったんですよ。その時、バンドをやるつもりはなかったんですけど、でも、1回聴いただけで"あ、このバンドに入りたい"と思いました。それぐらいかっこよかった。でも、その後、昔の曲を聴かせてもらったら、全然違うバンドかと思いました。ケイスケが言ったように、現在のLACCO TOWERのサウンドは徐々に形になってきたものなんだと思います。

-逆に細川さんのどんなところを見込んで、ギタリストに迎え入れたんですか?

塩﨑:僕たち、ホントいつも崖っぷちって状況にならないと動けないというか、とりあえず10年やろう、10年目で渋谷CLUB QUATTROワンマンっていうのを目標に活動してきたんですけど、そのQUATTROワンマンを最後に前のギターが脱退することになってしまったんですよ。しかも、次のギターが決まっていないにもかかわらず、そのQUATTROワンマンの約1ヵ月後に地元・群馬でワンマンをやることも発表していたんです。なんでそんなことをしたんだろうって今振り返ると思うんですけど、でも、まだ1ヶ月あるって、QUATTROワンマンが終わってから、いろいろな人に当たって......5人ぐらい当たったのかな。ムチャな話ですけど、25曲バーンと渡して"覚えてきてください"っていうのをやってくれたのが大介だったというだけなんです(笑)。

細川:もうちょっといい話に持っていくのかと思ったら(苦笑)。

松川:長かったな、前フリ(笑)。

塩﨑:いや、5人の中でスバ抜けてはいたんですけどね。でも、最初はホントにそれでした。コピーの達人だったんで。

松川:サポート人生が長かったからね。

細川:うん。

塩﨑:本当に、こいつしかいないと思いました。でも、そこからじゃないですか。人間性とか音楽性とかって。崖っぷちすぎたんで、とりあえず、店長、採用してください!

松川:シフトが埋まりません!って感じで(笑)。