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INTERVIEW

Japanese

シシド・カフカ

2013年02月号掲載

シシド・カフカ

Interviewer:沖 さやこ

その美しく挑発的なヴィジュアルに心を奪われた方々も多いのではないだろうか。18歳にプロ・ドラマーとしての活動を開始し、ドラム・ヴォーカリストとして昨年5月に「デイドリームライダー」で配信デビュー、9月にシングル『愛する覚悟』でメジャー・デビューを果たしたシシド・カフカ。2月20日にリリースされる2ndシングル『music』は大島賢治(THE HIGH-LOWS)と平出 悟(UVERworldサウンド・プロデューサー)というプロデューサー陣とのタッグが更に強力になった作品のようだ。

-シシドさんは14歳でドラムを始めて、18歳でプロのドラマーになられたんですよね。それで去年デビューなさって。メジャー・デビューまでのキャリアの積み方が、普通のアーティストさんとは少し違うところもシシドさんが異端な理由だと思うんですが……まずドラムを始めてから今までの経緯を教えて頂けますか?

ドラムに惚れたのが小学生のとき。どのバンドさんかも憶えてないんですが、テレビ番組で1曲演奏しているときドラムのかたがまったく映らなかったんですよね。それにすごく感銘を受けまして……。

-“映らないことに感銘”ですか(笑)。

こんな立ち位置の仕事があるんだ! って。小学校4年生にもなると学校での立ち位置とかも気になりだすところで、目立ちたいけどそんなにはじけられる性格でもなかったですし、その器じゃないな……ってことをひしひしと感じ始めた頃で(笑)。そのときからクラスの劇でも裏方に回ったり、合唱もアルト・パートになったり。ヴァイオリンを弾いてたときもサード・ヴァイオリンだったり。支える側の旋律を奏でることの楽しさを分かり始めていた時期でもあって。でも“支えてるわたし見てほしい”っていう、そういう願いも叶える存在に思えたんですよね。ステージで後ろから音楽を支えてる大切な役割をしているのに、セットは見切れてるのに人は映らないんだ、っていうのが自分にとってとてもかっこいい存在に思えたんですよね。そこに惚れこんでドラマーになろう! と心に決めたんです。

-それはドラムに出会う前にやってらっしゃったヴァイオリンにはなかったものなんですね。

ドラムは、本当に“自分の武器を見つけた!”って感じでしたね。ヴァイオリンでみんなと音を合わせているのは楽しかったですけど、それが自分の強みであるというところまでは思ってなかったですね。

-出会いから4年後の14歳のとき、当時住んでいたアルゼンチンでドラムを叩き始めて。

アルゼンチンではひとりでレッスンを受けていたんです。その後日本に戻ってきて高校くらいから学校や学校の外でもバンドを組んで、ライヴハウスでライヴをしだすようになって。大学生になったばかりの18のときに、わたしの2回りくらい年齢が上のに加入したんです。その方々の繋がりからプロとしてドラムを叩くというお仕事を頂く様になりました。

-18歳でそんなキャリアのある方々と一緒に組むって凄い度胸ですね。

最初の頃はそんなに物事を考えていくタイプでもなく(笑)、どんどん飛び込んでいくタイプだったので。すごくスパルタだったけど、それはわたしのドラムを気に入ってくれたからこそで。上の人とやっていろんなことやいろんな音楽も教えてもらいましたし。とにかく吸収するのが楽しくて、ひたすらはしゃいでいた感じですかね。

-そこからサポート・ドラマーとしての活動が始まるわけですね。様々なミュージシャンの後ろでドラムを叩いてらっしゃると、いろんなことが見えてきたのではないでしょうか?

その当時はちょっと大人っぽい考え方をしていたので、しっかりドラマーに徹していた気がしますね。そこには追いついていかなきゃ出来なかったというか。短い時間で曲をマスターして、短い時間の中の音合わせで完成させなければいけないので、ついていくのに必死で。

-その当時は……ということはその後どうなっちゃったんでしょう(笑)?

(笑)。その後から暴れ始めて“ヴォーカルを食う”っていうことに徹し始めるんです。ライヴを見ていて“このバンドいいバンドだな”って思うのってヴォーカルに目が行くバンドだなと思ったんです。その頃は普通のドラマーだったので、どのライヴを見ててもどうしてもドラマーばかり見てしまってたんです。だけど、そんなわたしでもヴォーカルに目が向くっていうことは、それだけヴォーカルが力を持っている。そういうバンドはいいバンド、っていう自分の中のルールが出来てきて。“自分から食いにかかって派手なことしてもヴォーカルは負けないのかな?”ってアクションを大きくしてみたりしたことがキッカケですね。でもやっぱりキャリアのある方々はそんなことにも負けずにずっとステージ上でケンカしてるわけですよ。そういうことがどんどん楽しくなってきて、前へ前へ出て行くドラミングに変わっていって。二十歳のときに大島賢治さんと平出 悟さんと出会って“歌を歌ってみないか?”と言われて、“歌ってみようかな”って思ったのはそういうのもあったかもしれないです。ドラム・ヴォーカリストとしての形があるのも、最初のいじわるな(笑)気持ちの芽生えからだとは思いますね。